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旅立ち

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 京で始まった戦は、ここ愛洲の城下にも影響して来た。とは言っても、戦が始まったわけではない。しかし、いつ、どこから何者かが攻めて来るかもわからないので、戦闘の準備に追われていた。
 今回の戦は東軍、西軍に分かれて戦っているが、誰が東軍で、誰が西軍なのか、はっきりとわからなかった。一族の中でも東と西に分かれて戦っている。自分がどちらに付くかという、はっきりした根拠を持っている者は少ない。当面の敵が東に付くなら、こちらは西だというようなもので、利害によって寝返りも頻繁に行なわれた。
 愛洲一族は今の所、東でも西でもないが、有力な者から、こちら側に付いてくれと言われたら、自分たちの立場を守るために付かざるえない。また、何者かが攻めて来たら、それを倒すために、敵と反対側に付かざるえない。
 水軍も陸軍も各砦に見張りを置き、武士はもとより漁師、農民に至るまで、いざ、事が起こったら、すぐに戦えるように準備におこたりはなかった。
 熊野詣でや伊勢参りの参拝客の数も徐々に減って行き、物価はどんどん上昇して行った。



 応仁二年(一四六八年)の夏の初め、十七歳に成長した太郎は長円寺の石段に腰を下ろし、海に浮かぶ軍船を見ていた。
 今日の海は荒れていた。
 荒れている波の上を何艘もの『小早』が走り回っている。
 空も雲ですっかりおおわれ、時おり、雲の隙間から日差しが海に差し込んでいた。
 今日は父の所に行く日だった。今頃、父上は待っている事だろうと思った。
 城下にある祖父、白峰の屋敷から田曽浦にある父の田曽城まで水路で二里、陸路だと三里程ある。初めの頃は小舟で通っていたが、特に急ぐ用のない限り、太郎は山の中を歩いて行く事にしていた。勿論、山の中に道などないが、道のない所を歩き、自分だけの道を作るのが好きだった。熊野の山歩き以来、太郎は益々、山というものに引かれて行った。
 本当なら、今頃、あの辺りだろうな‥‥‥と太郎は田曽浦へと続く山並みを見ていた。
「仕方ないさ‥‥‥」と呟いて、沖の方に目をやった。
 やっぱり、ここでも戦が始まるのかな‥‥‥
 いや、まだまだ、当分は大丈夫だろう‥‥‥
 太郎は立ち上がり、城下の方を眺めた。人影は見当たらなかった。
「来ないかもしれないな」とまた、呟いた。
 愛洲源三郎定成と、ここで待ち合わせをしていた。源三郎とは、かつての大助である。彼と二人で、ひそかに京都に行く約束をしていた。
 昨日、会った時、源三郎は、「今は時期が悪い」と顔をそむけながら言った。「皆が戦の準備をしている。こんな時に家を飛び出す事なんてできない」
「こんな時だから、京を見ておかなければならないんだ」と太郎は強い口調で言った。
「京は物騒だ」と源三郎は弱音を吐いた。
「怖いのか」と聞くと、「怖くはない。怖くはないが‥‥‥」と源三郎は口ごもった。
「俺は行くぞ。一人でも行く。明日、待ってる」
 そう言って、昨日は別れた。
「来ないかもしれない‥‥‥」もう一度、太郎は呟いた。
 海からの潮風が強くなって来た。
 ふと、太郎は後ろに人の気配を感じて振り返った。
 曇天が石段の上から、ニヤニヤしながら太郎を見ていた。
「今時、暇な奴もいるもんだな」と曇天は太郎をからかうように言った。
「うるさい!」と太郎は怒鳴った。
 太郎はこの生意気な小坊主が何となく気にいらなかった。
「へっ、情けねえ面をしてやがる」
 曇天は石段を降りて来て、太郎の横に腰を下ろした。

更新日:2011-05-16 14:26:28

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