中世大崎領内動向

「内容」 A4版×91P「中世大崎領内歴史動向」
郷土歴史には様々な資料があり、選択余地が様々ある。郷土史を調べるなかで、歴的事柄が時代を逆転して記されていることも多い、時代的事柄が登場人物・事柄により、時代背景を抜きに人物評や土地柄を紹介している場合がある。文章の流れから時代を逆転させ人物評をあたかもその時代の事柄として描かれている様に思われる。今回は、歴史的事柄を時系列に従って、極力、詳細を調べ歴史的事柄に自分自身が納得いくように進めていきたいと思います。みちのくの郷土史のなかで、興味を抱かせることは、やはり、伊達氏が有名を馳せ、歴史的にも多くの人々に尊敬され敬われていることなどと思います。しかし、郷土史を調べていく中で、中世期における武士の権力争いや勢力争いなどが、伊達氏以外にも歴史に重要な要素が含まれているとことを感じ、私なりに、納得いくように、中世史(みちのく関連)を調べることにいたしました。
○1284年(弘安7年)に、北条一族の金沢氏が、玉造郡の年貢として、砂金五十両と馬、藍、米、布などの代銭八百七十二貫文余りを陸奥国司とその他に上納している。と記されている。これらの年貢は、鳴子地域からも集められたものであろう。鳴子地域で小黒崎、黄金沢、釜内、杉の森などは古くから砂金の産出地であった。
○1284年(弘安7年)に、「陸奥国玉造郡弘安七年(1284年)結解状けつげじょう」には、次の様な事が記されている。
「砂金五十両、銭八百六十九貫三百七十三文」の年貢を玉造郡より徴収し、「金田四丁分砂金四両」とか「金田一丁分砂金一両」の記載がある。当時は、玉造郡から砂金も産出されていたことが分かる。金沢氏の所領は、玉造郡の他に、全国に散在していたこともあり、その支配の為に鎌倉に、公文所という役所を設け、各地に郡や荘園には政所を置き、一族や家臣を任命して支配を強化していた。