漱石文学を支えた漱石俳句

 夏目漱石の初期の小説は面白く、ユーモアに満ちています。そして後期の小説は人に生き方を考えさせる小説として評価が高く、ともに多くの人に長く愛読されています。これに対して、漱石の作家人生の初期にたくさん作っていた俳句はあまり評価されていません。これらの初期の俳句は、独自色を出しながらも正岡子規と共同歩調で作っていたものでした。漱石の中期と後期の俳句は、漱石の好みと考えに基づくものでした。
 これらの俳句は現代まで続く俳壇の主流である風景主義、観察主義に立脚する俳句からは遠いものです。しかし、漱石の俳句は「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」、「草枕」と同じように読めば良いし、そうする事で漱石の俳句を楽しめます。

 漱石が身につけた物事に対する楽しみ方と面白がり方、および美的感覚の土台は俳句で身につけたものだと言っています。そして、小説を書き続ける際の基準になっていると語っています。このような鑑賞力、判断力が漱石の小説を書く力・自信になっているのです。
 外国文学のエッセンスを理解して吸収する際にも、日本人としてまた個人としての感覚の土台、基準がないとよろしくない、自分の判断力を持ち合わせないとうまくいかないと言います。漱石にこれができたのは、俳句のおかげだとしています。独自の日本文学の世界を作り続けられたのも、俳句をマスターしたからだと言っています。

 漱石の俳句観を画家のホクサイマチスがまとめてみました。AI時代にこそ光を放つ漱石俳句をともに考えてみよう。面白くてレトリックに富む漱石俳句はいつの時代になっても生き続け、200年経っても輝き続けると考えます。漱石文学のように。
 現代は高度に成長したAIが作家の小説の評価を行い、自ら小説を書いてしまう時代である。そして創作された小説はそこそこ面白いという。俳句も写実俳句であれば簡単にAIに凌駕されてしまうであろう。このレポートの最後に記述している池上彰氏の文章が参考になる。