• 19 / 32 ページ

見学

この学校には部活は沢山あるが、それぞれのための施設があるわけではない。
格闘技等の部活は『小体育館』という、名前通り小さめの体育館を使って活動していることが多い。
才加のボクシング部もそこで活動していることは聞いている。

小体育館は学校の端っこの方にあり、用が無ければわざわざいかないような場所だ。
放課後ともなれば、そっちへ向かうにつれて、どんどん人気が無くなってくる。
グラウンドから聞こえていた騒がしい音も聞こえなくなり、ついには自分の足音しか聞こえなくなった。
少し不気味に感じもしたが、放課後の学校なんてこんなものだろう。
気にせず足を進めていくと、何か音が聞こえてきた。

……パシン……パシン……パシン。

何かを叩くような音。
突然日常の中でこの音が聞こえても、何か分からないだろうが、今はすぐに分かった。
まぎれもなく、才加のボクシングの練習の音であった。
ミットかサンドバックを打つ音に思えた。

「ホントにやってんだ」

無意識に足の回転が速くなる。
ホントにボクシング部が活動しているとは、正直信じられない部分があった。
あまりにもイメージが無さ過ぎて。
もしかすると無駄足になるのではないかと思っていたところだったため、非常のテンションが上がる。

……パシンッ……パシンッ……バンッ。

近づくにつれ、音も大きくなる。
よくテレビで聞くような、あの迫力のある音が近づいてくるのだ。

……バシッ……キュッキュッ……バシンッバシッ。

ステップを踏むような音まで聞こえるところまできた。
間違いなくボクシングの音であった。
どんな練習をしているのか、楽しみになってもはや小走りになった。

しかし、ふと私は足を止めた。

何か今の状況に違和感を感じた。
その違和感が何かを考える。
その答えは、少し考えたらすぐに出た。

ボクシングの試合は、テレビでしか見たことないような知識だが、物凄い激しい戦いであることは分かる。
グローブをつけているとはいえ、人間同士が殴り合う。
かなり危険なスポーツでもある。
その練習となったら、生半可なものではないだろう。
部活でも練習となったら、怒号の飛び交う激しい練習になるに違いないはずだ。

それにしては、あまりに静か。

ただただグローブが何かを叩く音しか聞こえない。
監督や周りの他の選手の声も聞こえない。
イメージ通りの音が聞こえてテンションが上がったが、本来はイメージできないような騒がしい音が聞こえてこなければおかしいのだ。

「どういうことだろ」

不思議に思いながらも足を進め、小体育館の前まで来た。
聞こえる音は変わらず、そこらじゅうに響いている。
引き戸に手をかけて、ゆっくりと開ける。
10センチほど開けたところで、覗き込む。

そこには、サンドバック相手に、ひたすらパンチを打ち込む才加がいた。
真剣、という言葉以外に表す言葉が無い。
サンドバックを鋭い目つきで睨み、黙々とパンチを打つ。
そうして放たれるパンチ一発一発がサンドバックを大きく揺らす。

よく見ると床がそこら中濡れている。
初めは何かと思ったが、才加の足元にも同じような水たまりがあるのを見て、それが才加の汗であると分かった。
何時間ああして練習しているのか分からないが、汗の水たまりを見たのはこれが初めてだった。

「すっげー、才加」

思わず驚愕の声が漏れた。
それと同時にそんな才加の姿を見ている人間は、今この瞬間では自分しかいないことを確認した。
他の部員や監督にあたる人間は全く見当たらない。
本当に、たった1人で練習している。

「ボクシング部って才加1人だったんだ……」

その状況は、先ほどまで教室から見ていた外の部活の様子とはあまりにも対照的だった。
何を言ってるのか分からないほど声を張り上げている陸上部やテニス部。
それに対して、この場では、サンドバックを打つ音、サンドバックのきしむ音、才加の足音、フッフッと漏れる息、すべてが良く聞こえた。

しばらく私は才加の練習に見入っていた。
当初は応援の言葉でも掛けてあげようかと思っていたが、才加のあまりの気迫に話しかけることはできなかった。
何も言わずに、小体育館を去ることにした。

背中からは変わらず、サンドバックを打つ音が聞こえていた。
その強い音は、学校を出て、駅へ到着し、電車に乗り込んでも聞こえるような気がした。
耳というより、身体の中に直接響くような音であった。

「ボクシングってあんなに凄いんだ」

どうともない感想をわざわざ口にする。
自分の部屋の鏡の前で、何も考えずファイティングポーズをとってみたが、恥ずかしくなってすぐに止めた。

更新日:2011-09-06 12:51:01

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook