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第九章:きめたこと ―神無月・中旬―

 
「私は十四日の十七時から、小夜子は十五日の十五時からだって」
 視力の優れた静音が、人だかりから帰ってくるなり小夜子にそう告げた。
「ありがとう、静音ちゃん。あそこから戻ってくるの、大変だったでしょう?」
「そりゃあね。目悪い人は大変だ」

 小夜子の言う『あそこ』とは、黒板の横にあるホワイトボードだ。いつもみんなの落書き板でしかないそれに、昼休みの今はクラスのほぼ全員が集まっている。三者面談の日取りが貼り付けてあるからだ。皆、自分の番の日時を確認するや携帯電話を開き、そこにメモしているらしい。それは小夜子も静音も、例外ではなかった。

 メモし終えると、小夜子は奏一郎作のお弁当を広げる。バランス良く敷き詰められた、色とりどりの野菜中心のそれが、彼のセンスの良さを物語っていた。毎朝作って手渡してくれるのだから、ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちとで綯い交ぜになってしまう。
 それでもやはり美味しいものは美味しい。今朝採れたばかりであろう野菜たちの料理を口に入れ、心を和ませた。

「……っていうか……また最後のコマに当てられたよ、私」
 珍しく負のオーラを撒き散らす静音に、小夜子も現実に引き戻される。
「え、嫌なの?」
「嫌だよ!」
 さすが普段、ドラムを叩いているだけある。机を叩くその凄まじい威力は、クラス中の注目の的だ。
「成績悪い奴らとか素行の悪い奴らは話が長くなるから、自然と最後のコマに当てられるの! ちなみに私は前者だけど! お兄ちゃんは後者だったけど! 私バイト始めようと思ってんのに、絶対反対されるパターンだよこれっ!」
 饒舌な説明にそうだったのかと、呑気にも感心してしまう小夜子。が、静音曰わく、少なくともこの学校の三者面談はそうらしい。

「この学校、バイトしていいんだね?」
「うん。あ、前の学校では禁止だった?」
「許可書提出しないとダメだったなー」
「へえ。厳しいなぁ」
「どこでバイトするの?」
「悩み中~。時給いいならどこでも。スーパーのレジでもいいし。制服が可愛いかどうかとかは別にいいわ」
 今更ながら、ずいぶんあっさりとした子だ。女子高生の一番気にするところを気にしない。
「静音ちゃん、バイトもするしバンドもあるし、文化祭実行委員だし、忙しいね……」
 彼女は働き者だ。芯がしっかりしているのと、元々の明るい性格が忙しさを感じさせないのだ。それに比べて自分は。
 心屋存亡の危機の際にもなにもできず、ドジを踏んでばかり。のみならず、奏一郎にも甘えてばかり。こうして彼の作った弁当を広げ、安穏と日々を過ごしている――。
 精神的に向上心の無い者は何とやら。現代文の授業で学んだことだ。

「私もバイト、始めようかな……」
 そうすれば、自ずとしっかり者になっていくのではないか。ドジを治すきっかけにもなるかもしれないし――良いことづくめなのではないか。
しかし静音は、
「は、はぁ!? ダメに決まってんじゃん!」
 と、眉をこれでもか、とくらいに顰めてきた。
「な、なんで? 静音ちゃんはバイトするのに」
「だってそしたら奏一郎さんとの時間が……っ」
「時間、が?」
「いや、違う。何でもない」
 急いで口を噤んだ。

 最近の静音は変だ、と小夜子は思う。会話の端々で奏一郎の名が出るようになったし、かと思えば今のように口を閉ざす。何かを策しているかのように見えるのだが、小夜子は小首を傾げてそんな彼女を見ることしかできない。
 が、今日の彼女は口を閉ざして終わらせはしなかった。
「だ、だって文化祭準備、超忙しいし。劇の練習だって始まるしー。それにほら、バイトって親の許可要るじゃん? 小夜子、お父さんは外国に居るんでしょ?」
「……そっか。そだね」
 ――“親の許可”か……。奏一郎さんの許可……じゃ、たぶん無理なのかな。

 しっかり者への道は遠い。小夜子はがっくりと肩を落とした。

「……あれ? じゃ、小夜子の三者面談、誰が来るの? お父さん? ……なわけ、無いか」
「ううん、あの……お父さんだよ。たまたま、二、三日こっちに戻ってるみたいで」
「あー、そうなんだ? 小夜子のお父さんってどんな感じの人? なんか想像つかないな」
「……んー……」

 自然と、ずっと合わせていたはずの視線を外してしまう。
 見ると、窓に映るのは乾いた空にまっすぐ引かれた白線。こうして見ると、学校の窓も立派なキャンバスだ。それはとても、眩しすぎて。
 父の姿を思い出すときに見る景色には、とても不似合いだと思わざるを得ない。

「……不器用」
「不器用?」
「うん……私とおんなじ」

 またも弱々しい笑みを浮かべた彼女に、静音は深いため息を吐く。
 昼休みが終わる頃には、真っ白だった飛行機雲も、青空に溶けていった。

更新日:2013-09-10 12:33:38

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