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聖女

 聖都アルネシアの西の郊外は、森が迫っている。
 木々に取り囲まれるように、小さな庵があった。いや、庵というよりは、ちょっとした小屋といった佇まいか。その脇には井戸があり、地味な修道士の服を着た小柄な男が水を汲んでいる。
 彼は水を桶に移す。ふとその手を止めると、深い溜息を吐いた。
 小屋には、十名ほどの病人たちがいる。皆貧しいために、医者に掛かることの出来ない患者達だ。
 彼の名前は、ホーリという。その博識の広さや慈悲深い行為から、 『賢者ホーリ』と後に呼ばれる人物である。
 彼の経歴は素晴らしいものである。十二歳で聖職者の道を志し、十八歳でこの国では最も権威ある教育機関、神学校で最高の成績を修めた秀才だった。当然、周りからは将来も期待された。以来、東方教会で神官として、順調なエリートコースを歩んでいた。
 だがある時から、彼は自分の属する『東方教会』のあり方に、疑問を感じ始める。
 この東の帝国では、皇帝は光明神シリオスの直系の子孫……現人神(あらひとがみ)として崇め奉られていた。『東方教会』が宗教と政治(まつりごと)を統治する、神権国家だった。
 皇帝を頂点に、それを補佐する役割の長老院、政治的な主な役職の殆どが東方教会の神官達で構成されていた。それらは全て教会内でも主流の『正統派』の連中で占められている。そして実際のところ、聖職者としてあるまじき汚職や不正も蔓延っていた。
 ホーリは憤慨し、上層部にあらゆる手を尽くして進言したりもしたが、状況は一向に何も変わらない。逆に清廉潔白すぎる、“きれいごと”として、一笑に付されてしまうのが関の山だった。
 やがてホーリは、教会の著しい権威主義や政治的な関わりを否定し、“聖母ティアの慈悲”を旨とする『聖母派』に帰依するようになる。彼は教会を飛び出すと、郊外に小さな庵を建てた。貧しさ故に医者にも掛かることの出来ない者達のために、ささやかだが尽くそうと決意したのだった。
 ホーリは博学だったので、医者の知識もそれなりにあった。だが高価な薬、高度な医療施設と技術は、どうにも購えない。重度な患者は救えない。気休め程度の治療しかできない限界を、彼は感じていた。
 昨日ここに、貧しい母親に抱き抱えられて連れ込まれた瀕死の乳飲み児。
 母親は赤ん坊の命を救ってくれと必死に懇願するが、ひと目で手遅れだと判った。これまで幾度も、人の臨終に立会ってきたのだ。赤子には、既に死相が表れていた。
 将来を担うべき若者や子供達、特に幼い命が失われることは殊更、彼をやるせない気持ちにさせるのだった。
 赤子以外にも重病人とその付き添い達が、一縷の望みを賭けてここに来ている。たとえ手の施しようがなくても、ホーリは諦めたくなかった。
(とにかく可能性のある限り、やれるだけのことをやって、手を尽くそう……)
 ホーリは改めて気を取り直すと、水の入った桶を持ち上げた。

更新日:2013-10-31 19:54:12

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