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挿絵 400*400

 ん、という事はどういう事だ。姉さんは精霊に喰われきっていて、助からない?

「そ、それじゃあ……」

『姉君を救うにはダインに思い直させて、喰った魂を返させるしか無いだろう』

 そんな事出来るのか? 姉の美しい顔をあそこまで醜く歪ませて笑う事の出来るあの精霊に。

『あいつの場合は私達の逆だ、相性が悪いから同調させる事が出来ず、喰う事で無理やり操っている。喰われきる前に手放させる事が出来れば良かったのだが、見た限りもう遅いと思う』

 ニールの言葉は私を絶望させるのに充分足るものだった。

「そんな、そんな……」

 姉さんが、姉さんが、もう、助からないかも知れないだなんて、

「あ……」

 私は椅子に座っている事すらも維持出来ないくらい、体の力が抜けていく。ガタン、と椅子の上でバランスを崩して床に倒れてしまう。
 姉さん、姉さん……!
 わたしの、ねえさんが……

「あああぁぁぁ……っ」

 声にもならない嗚咽が漏れ、涙が溢れ出す。拳を力いっぱい握り締めて、床を何度も叩いて当たり散らした。自分の爪が刺さって手の平からは血が滲み出てくる。
 私の想いが伝わっているのであろう精霊は、しばらく無言だった。私がどれだけ姉を愛していたか、その半生を振り返れば姉を想わぬ日など無かったのだから。私には、姉さんしか、いないのだから……



 それは聞いた事のある童話によく似た情景だった。 
 違うのは、この森の先にお菓子の家も泣ければ魔女も居ない、私は道しるべにパンを落としたりしてもいない。月の光が木々の葉の間から差し込み、かろうじて足元が見えるものの、それも不確か。薄っすらと見える少し年の離れた姉の水色の髪が月の光に反射して、綺麗だなと思ったのは覚えている。
 私はその姉と共に森の中で、父の後を必死に着いていった。
 父と言ってもきっと実の父ではない。家に居るはずの母もきっとそうだろう。直接聞いてはいないが、見た目・態度共にそう感じる部分は多々あった。

 そして今晩は、この森に捨てられるのだろう。

 姉も私も、分かっていて着いていく。飢え死ぬ事になるかも知れない。けれど、家に居るよりはずっとマシだ。毎日傷だらけになるまで母から折檻を受ける日々よりも、生を終えてしまったほうがどんなに良い事か。

「お父さんはちょっと用事があるから、ここで大人しく待っているんだよ」

 想像していた通りの言葉に、私と姉はお互いの青い目を見合わせる。とりあえず頷いたら、そこで父が見えなくなるまで座った。姉は、終始私を不安にさせまいと笑顔だった。
 その後幸運にも私と姉は獣人の老夫婦に拾って貰う事が出来た。思えばその頃が一番幸せだったのではないだろうか。しかし老夫婦が私達を看ていられる力が無くなり、私が八才くらいの時教会へと姉と二人で預けられる。

 姉は容姿も良く、程なくして引き取り手が見つかり、私はそれから引き取ってくれた司祭様と他の孤児達のみと過ごす事になった。姉とはそれ以来会っていない。
 姉と最後に交わした言葉は「元気でね」とあっさりしたもので、別れ際だっていうのに姉は少し目を伏せるだけで、笑顔は絶やさなかった。私はそんな姉を尊敬し、そして少し悲しく想う。結局姉の本心は、離れるその日まで一度たりとも知る事は出来なかったのだから。
 それでも、姉はいつだって私を大切にしていてくれた……それだけは心から感じ取れる、間違えようのない絆。
 いつか一人立ちして姉を迎えに行くのだと、それだけが私の生きる目標となっていた。

 必死で司祭としての教養と知識をただひたすら学んだ。天使のような姉とは違い、時折悪魔のような姿に変化してしまう自分を、強く制する意志を持った。おかげで周囲とは違う見た目でいじめられる事は無くなった。
 そして槍術を鍛え、最低限の魔法と司祭に必要な魔術式を覚える。そうしているうちに自分の年齢が壁となり、少しでも大人に近づこうと幼いなりにも背伸びをする。周囲の孤児達からは浮いていたが、今はそれで構わないとひた走った。

 全ては姉の為、と。

 ……だが姉は私が迎えに行く前に道を踏み外していた。
 賞金首として届いたその知らせにただ愕然とする。引き取られた家庭の先で何があったのか、想像は容易なようでそうではない。あの張り付いた笑顔の下に、姉はどんな想いを抱えていたのだろうか。そしてどんな想いで誤ってしまったのだろうか。
 その知らせは私を一人旅立たせるのに充分なものだった。

更新日:2012-05-28 12:14:47

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