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第二部終章 ~仄かに灯る精神の火~

挿絵 400*400

 驚くほど私は冷静だった。
 人間、本当にショックを受けた時、逆に慌ててなどいられないのだろうと思う。初めて入る地下牢は、床は硬いしじめじめしているし空気も淀んでいる。これ以上無いくらい居心地の悪い場所。

「…………」

 多分、この三日間。手首に錠をかけられたあの時から私は一言も喋っていなかった。以前のように声が出ないのではなく、喋る気力が出てこないのだ。
 暴れるわけにはいかない、ガウェインやヨシュアさんに迷惑が掛かってしまう。だから何も考えない、ただぼーっとこの嫌疑が晴れるのを待つしか私に出来る事は無いのだ。

「クリスさん、ちゃんと食べた方がいいと思うぜ……」

 鉄格子の内側、傍に置かれた金属製のプレートの上にはコッペパンが二つにミルクが一杯。要求もしていないコッペパンを出されても食べる気など皆無。絶賛絶食中の私は不思議とそれを未だに口にしたいと思えなかった。まるで空腹すらもどこかにいってしまったように。
 ガウェインが外で心配そうにこちらを向いているが、その視線と合わせる事無く私の瞳の先は虚ろに宙を漂う。
 精霊武器はきちんと私の腰に携えられていた。これだけは取られるわけにも触らせるわけにもいかず、レイアさんが周囲をどうにか説得してくれて、牢の中でありながらもここにある。
 『持ったら死ぬ、それを実践したいのならすればいい』……彼女のその言葉に皆、簡単には信じられずとも実践する勇気は起きなかったようだ。
 いざとなれば錠をかけられたままでも精霊武器を持てばどうにかなるだろう。だからそこまで自分の身を心配しているわけでは無い。
 ただこの国に……酷く裏切られた気分から、何をする気力も湧いてこなかった。

 いや、違う。私は別にこの国に裏切られるほど、この国と関係を築いているわけでは無い。元々裏切り裏切られる間柄なわけではないのだから、勝手に落胆する方がおかしいと言うもの。
 お城や国の事など興味が無かった、大陸統治国の王子の顔も名前も覚えてなかった、自分の育った南の地域以外はサッパリ知らなかった。
 そんな私が今、国に裏切られたと勘違いしてしまうほど馴染んでいたのは……エリオットさん、彼が居たからに他ならない。この場に彼が居ない以上、国はそんな私を護ったりなどしないのである。
 私の世界は今も昔も誰かに依存していた。最初は姉さん……そして気付けば、その姉の相方であったエリオットさんに。

 その考えを振り払うように私は膝を抱えて俯いた。
 ちっとも私は成長していない。辛くて辛くて、いけないと分かっているのに今また誰かに寄り掛かりたいと思っている。この四年は一体何だったのだろう、この城に初めて来たあの時と何も変わっていないでは無いか。
 いざ近くに誰もいないと不安に押し潰されてしまいそうになる。あの時は近くにエリオットさんが居て、どうにか耐えられた姉さんの事。
 でも今は……誰も居ない。

 時間が経つのは凄く遅かった。交代で私の見張りをしているガウェインとヨシュアさんもよく懐中時計を見ては溜め息を吐いている。
 地下牢は勿論窓が無いので外の様子もさっぱり把握できず、肝心の時計すら無い私には気が遠くなりそうな時間。ここに滞在している日数は、出された食事の回数でしか分からなかった。
 一切動く気配を見せない私に、気付けば交代していたヨシュアさんが声を掛けてくる。

「何か……欲しいもの」

 欲しいものは無いか、と聞いているのだと思う。返事をする気力も無いので完全に無視して私は膝を抱えたまま寝たフリをした。
 これは多分、彼らへの些細なあてつけだ。彼らを傷つける事を選べないくせに自分の身を捧げきれてもいない、小さくて弱い半端な私の。
 目の前が色褪せていく。自分が誇れなくなる。
 閉鎖された空間で三日という日数は、私の心をだんだん擦り減らしていった。これが全部擦り切れてしまった時、私は全てどうでもよくなってこの剣を振るうのだろうか?
 私は思い立ったように腰の剣を、拘束されたままの腕でどうにか抜く。そして、手にする剣の精霊の名を呼んだ。

「レヴァ」

 久々に出した声は少しだけかすれていたけれど、それでも目の前に現れる赤い精霊。

「この錠を壊せますか?」

「!! クリス……っ!」

 牢の外のヨシュアさんがその薄い青の瞳を見開いて訴えかけるように鉄格子を掴む。

「分かりました」

 レヴァは無表情のまま私の手首の錠に触れ、それをいとも簡単にその手で割り砕いた。それは以前……私が持っていた力のようである。

更新日:2011-07-23 22:57:00

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