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挿絵 299*400

 馬車での私は柄にも無く彼を心配などしていた。出会ってまだ短い、しかも大切な姉をたぶらかして盗賊にさせたのかも知れないこの男を心配するだなんて、司祭見習いに相応しい甘さだ。この悪魔のような私は、隣人を愛する聖職者になど本来向いていないはずなのに。
 少し強く馬車が揺れるだけで傷に堪えるのだろう、道中は何度も彼は呻いていた。額や首筋に汗が滲み、私は隣でそれを拭いてやる事くらいしか出来ない。
 あと一週間で死んでしまうかも知れない……そう思うだけで何故だかお腹の底がぐいぐい押される気分になる。早く王都に着かないのか。
 何も出来ない歯がゆさに耐えること一晩。昼前に王都の門に馬車は辿り着いた。



「シヴァンフォードという医者がどこにいるか分かりますか?」

 探している時間など無い、すぐに道行く人に声をかけて聞く。馬車を降りたので私はこの体で槍とエリオットさんを担ぎながら歩いている。ヒトなら大変なのであろうが、私の腕力であれば担ぐ事自体は問題は無い。エリオットさんの傷に響くだろうが……

「えっ、背中の人の具合が悪いのね? それなら街の外壁に沿ってずっと西の角にある病院よ。あそこは腕だけはいいからきっと助かるわ」

 四十代くらいの朗らかな女性は、丁寧に教えてくれた。私を気遣って手に持っていた包み布を貸してくれたので、エリオットさんを赤子のように包んで背負うことにする。これなら少しは振動が減るだろう。
 王都エルヴァンの城下街は流石に広い。その街の最南西に病院はあった。小ぢんまりとした、白く塗られたレンガの四角い建物。玄関の「休診」の看板を無視して戸を叩く。

「誰かいませんかー! 急患なんですー!」

 ヒト型時の私の、出来る限りの大声で叫ぶ。戸も叩く、壊さない程度に。
 程なくして玄関が開き、吊るされたベルがカランと鳴った。

「どちら様ですか~」

 出てきたのは大きな瞳で愛嬌がある可愛らしい女の人。しかしその顔の両サイドにはヒトの丸い耳ではなく猫のような獣耳があり、彼女がヒトではなく獣人なのだとすぐに気付かせてくれる。ややふっくらとした浅黒い肌には縞柄模様。多分猫ではなく虎の獣人だろうか? だが虎の獣人にしては髪の色が鮮やかな銀、というよりは白髪で、胸あたりまである長さのその白髪はみつあみでまとめられていた。掛けた眼鏡と白衣が、彼女が医者だと示している。医者とは思えないほど、のんびりしていそうな垂れ目と雰囲気だが……
 というかまた女性だったとは。

「あ、あのっ、エリオットさんを助けてください!」

 何をどう伝えたらいいか分からないので、とにかく助けを乞う。背中におんぶしている彼をその女医さんに見せると、彼女は目を丸くした。

「あらあらあら、エリオット様ではないですか~。とりあえず中へどうぞ~」

 頼むから急いでください、と言いたくなるトロトロした口調。でも看てくれるようでひとまずは安心する。
 入るとすぐに清潔そうな受付と待合室があったが、休診日なようなので勿論ガランとしていた。

「お兄様を呼んできますわね~」

 そう言うと彼女は廊下の奥に走っていく。ん、彼女が治療してくれるわけではないのか。待合室の椅子にエリオットさんを寝かせてから待つ事一分も無かっただろう。カツカツと全く急ぐ素振りの無い足音と共に、もう一人の白衣の人物が現れた。

「本当にエリオットだな」

「そうでしょう、お兄様~」

 そう呟くのは、女医さんに良く似た容姿の男性医師。勿論、私が医者に見えた理由は「白衣を着ている眼鏡さん」だからである。お兄様と呼んでいることだし、兄妹なのだから外見的特長が似ているのは当たり前。同じように浅黒い肌に獣耳と、それに似合わない白髪が印象的だ。一つだけ似ていないところを挙げると、妹さんは優しそうな目なのにこのお兄様はとっても怖そうなつり目である、ということか。

「で、こいつは死にかけなのか?」

「あ、はい。お腹の傷が……」

 うまく伝えられない。既にエリオットさんは喋れる状況ではなく、私が今まであった事を伝えなければいけないのに。
 獣人の男性は荒っぽくエリオットさんの包帯を解き始めたが、すぐにその手は止まった。

「な、治せますか……」

 傷を看たまま黙っている彼に、私は居てもたってもいられずに問いかける。

「問題ない」

 さらっと一言。

「だから泣くな、鬱陶しい」

更新日:2011-06-30 19:56:45

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