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序章

“イラン”----皆さんはどんなイメージを持つのだろう?-----ペルシャ絨毯、イスラム原理主義、バザール等などではなかろうか?
イランの歴史はとても古く紀元前3000年ころにアーリア人が到来する頃からはじまる。紀元前550年キュロス大王がペルシアを征服しアーケメネス朝を興した。ダリウス大王(1世)の時代にはペルシャ帝国はアジア・アフリカ・ヨーロッパにわたる大帝国となった。その頃が、アケメネス朝全盛期であり、新都ペルセポリスが造営された。紀元前330年、東方遠征途上のマケドニアのアレクサンドロス大王によって宮殿は灰燼に帰せしめられ、ダリウス3世は死亡し、アケメネス王朝は滅亡しました。
その後アルシャク朝~サーサーン朝が続いた。イスラーム期に先立つこれらの帝国はオリエントの大帝国として独自の文明を発展させ、ローマ帝国やイスラム帝国に文化・政治体制などの面で影響を与えた。
イランの中世は、イスラームの征服に始まった。1220年のモンゴル到来によるイランの荒廃、ティムールの征服、1501年のサファヴィー朝の成立とシーア派の国教への採用などである。その後ガージャール朝の時代までに、イランはイギリス、ロシアなど列強の勢力争奪の草刈り場となってしまった。19世紀、近代化の波がイランに押し寄せるとイラン人は改革を熱望し、1905年から1911年のイラン立憲革命へと導いた。
1950年代はじめ首相モサッデグは国民の圧倒的支持を集めて、石油の国有化を断行する(石油国有化運動)が、1953年米英の情報部による周到な計画(アイアス作戦)によって失脚させられ、国有化は失敗に終わった。この事件によってパーラビー朝のシャー、モハンマド・レザー・パーラビは権力を集め、特に1970年代後期に、シャーの支配は独裁の色合いを強めた。シャーは米英の強い支持を受けてイラン産業の近代化(白色革命)を推し進めてきた。
1978年初夏、テヘランの空は真っ青だ。まさにペルシャンブルーの空だ。抜けるように高い空に、雲ひとつない!!!

この素晴らしい青空の下で、パーラビ王朝は繁栄を誇っていたが、水面下で無理な近代化にともなう貧富格差の増大やイスラム教軽視の政治への反発で、反政府・反国王運動のうねりが静かに始まっていた。このような時期に僕はペルシャ語(ファルシー)を学ぶとともに、将来のイランの政財界を指導する若きエリート達と親しい関係を作ることを目的とし2年間の予定でテヘラン大学に留学生として派遣されてきたのである。27歳、入籍をしたばかりの新婚の妻、愛子を日本に残しての単身留学である。1年後にパリで結婚式を挙げ、ヨーロッパを新婚旅行しようという計画であった。

更新日:2011-04-16 18:00:01

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