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June Fri. 1400 in Istanbul

 抜けるような青空
湿度の低い地中海性の気候とはいえ、6月も中旬となれば日中は汗ばむほどだ
レセプションは緊迫した空気の中、穏やかに進行していた
 近接保護官Close Protection Officer司令は、たった今発動した不審人物の確保命令に、全く動く気配のない1人のCPOに注目していた
彼‥‥は、ブルネットカラーでおしゃれなボブウイッグと大きめのファッショングラスで顔を隠し、白地にアンティークな薔薇柄をワインカラーでプリントしたドレスシャツをインに、黒みがかったボルドーのジップアップシャツを重ね着、グレーに白いペンシルストライプのパンツ姿だった
 ガンホルダーを隠すジャケットを着用しておらず、銃を携帯しているようにも見えない
インカムをしているため、辛うじてCPOであることが解る
TPOをわきまえない装いだと、CPO司令は苦々しく思う
彼はどう見てもファッション業界系の、脆弱な青年にしか見えなかった

 レセプションの主役、女性ジャーナリストが居る壇上に近づきつつあった、登山ナイフを所持した若い男に、5,6人のCPOが群がって取り押さえる
悲鳴と怒号が飛び交い、周囲は殺気だっていた
その中でCPO司令は、清冽な水に触れるように冷静な報告を聞いている
 『 挙動不審人物を確認
ステージより北西約10ヤードの距離から対象者に接近中
濃紺のブレザー、右手にテディベアのぬいぐるみ‥‥ 』
その、業界系からの報告だった
 司令が見たモニターに、周囲の騒ぎを顧みもせず真直ぐに、ステージを目指す中年男性が映る
女性へのプレゼントのつもりなのか、右手にリボンをかけてセロファンでラッピングされた熊のぬいぐるみを抱えている
が、どう見ても不自然だ
皆、登山ナイフの若い男に集中している
辺りに人垣ができ、直ちにこの新たな不審者に反応できない
 『 ‥‥確保します 』
業界系青年は、吐息の混ざるおとなしい喋り方で、あっさりと決意を語る
しかし女性ジャーナリストの居る壇上に、どう見ても不審者より早くたどり着けるようには思えなかった CPO司令は歯噛みした
 レセプション会場であるホテルの中庭
2階にカフェがあり、窓際から仮設ステージが良く見える
軽食とランチワインを楽しみながら、レセプションを観賞できる趣向なのか
中庭から螺旋階段でつながったオープンテラスに、客席が張り出していた
 そこから‥‥
 「 失礼Pardon‥‥ 」
優しげなアルトの声音 ふと吐息が混ざるような‥‥
 その声の持ち主がテーブル横のプランターからテラスの手すりに上がり、思い切り良く真下の中庭にダイブする
テラスの客席から悲鳴が上がった
 ステージに近づいていた男が上着を捨てた
実は外から見える右腕はダミーで、ぬいぐるみを抱えている
上着の下の本当の右手がショットガンを構えていた
 ステージ上からも鋭い悲鳴が上がる
女性ジャーナリストを庇うために2名のCPOが左右から、彼女に被いかぶさる‥‥
 ふわり‥‥と、きれいな弧を描き“彼”はステージ上に降りてきた
しなやかな獣のような動作で、ショットガンを構えた男と、女性の中間に立つ
“彼”の手元から、銀色に煌く蜘蛛の糸のような極細のワイヤーが放たれた
それは、男の腕を絡め取る‥‥
男は突然右腕を襲った激痛に膝を折って、地面にかがみ込んだ
 悲鳴を上げて逃げ惑う人々
 男に駆け寄った、グレーのパンツを穿いた脚が銃を蹴り上げ、ワイヤーが絡まったままの右腕を、ボルドーカラーのシャツを着た両手が掴んで捻りながら引く
男を、飾りレンガを敷き詰めた地面に投げ倒していた
 男の背にのしかかり、体重をかけて押さえ込む
そして、背後に回した男の両手首にプラスチック製の簡易手錠をかけた
この間わずか60秒足らず
 『 確保しました‥‥ 』
 CPO司令は冷静で、息も乱していない報告を聴いた

 「 誰だぁ? あれ‥‥ 」
 観測手が、スコープを下げながら呆れたように傍らの狙撃手に訊く
 「 あいつ、ナイフか何か‥‥投げたのかな? おまえ見たか? 」
 「 いや? 」
狙撃手は、据えてあるライフルのスコープから目を放しながら首をひねる
 「 でも、銀色の‥‥ラインが、見えた‥‥かも? 」
 ふたりが居る、ホテルに隣接したバスターミナルビルの屋上
そこには、女性ジャーナリストを警備するために狙撃班が配置されていた
レセプション会場の中庭が一望できる
 万一保護対象者に暴漢が近づき、CPOの警護が間に合わないような場合、犯人をいち早く排除するために待機していたのだ
調度今それに近い事態が起こったのだが、ブルネットのボブヘアーに先を越されてしまった
結果、血を流すことなく任務は終了したようだ
 やれやれ、と観測手は肩を竦める

更新日:2011-05-06 19:50:20

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