• 11 / 21 ページ

 七歳の頃に俺は両親を失った。事故だったのだと思う。それを教えてくれる者は誰もいなかった。警察らしい人と市のなんとかいう係員が来て、両親には親戚がいないらしいことや、したがって俺を引き取る人間もいないことなどを目の前で話し合っていたが、少しして二人とも帰ってしまった。
 それまで親の庇護の元で何不自由なく過ごしていたのだ。どうしたらいいのかもわからず、少しの間は台所にあった食料などで食い繋いでいたが、それも底をつくと水だけで飢えをしのいだ。夜、物音に目覚めて両親が帰って来たのではないかと喜びドアを開けると、大きな黒犬が唸り声と共に飛び掛って来たこともあった。人声に気付いて外を見ると、見知らぬ男達が窓の外から屋敷の内部を物色していて悲鳴をかみ殺したこともあった。物音がする度に怯え、震え、縮こまり、俺はベッドの中でほとんどを過ごした。
 ある日、飢え死に寸前で意識も朦朧としていた俺の前に、ひとりの天使が現れた。天使はベッドに横たわる俺を、無言でじっと見下ろしていた。窓から差し込む月光に、髪がキラキラと輝く。俺を見下ろす表情は暗くてよく見えなかったが、なぜか恐怖は感じなかった。ああ、神様が迎えに来てくれたのだと思った。これでまた両親に会えるのだと・・・。
 天使はやせ衰えた俺に食料を運んで来るようになり、俺は毎晩天使が来るのを心待ちにするようになった。『天使』とは、もちろんフィリップのことだ。
 フィリップの素性は俺も知らない。いつ、どこで生まれたのかも、どこで育ち、どんな風に今の町に流れて来たのかも知らない。知っているのは、今まで会った誰よりも綺麗な容姿をしているということと、そして、俺が死ぬまでずっと、たぶん一生俺の傍にいてくれるということ。そして、俺にとってはそれだけで十分だった。
 奴が『吸血鬼』であることや、生きていく為には何かで『栄養摂取』をしなければならないということは、たいした問題ではない。しかし、俺が知らないと思っているフィリップは、絶対にそれを言わない。まあ、それが普通かもしれないが、もはや『運命共同体』とも言うべき俺に言わないのは、まったくもって『水臭い』と思う。
 今回のブリンゲルの件も、俺はできれば自分の正体をソフィアには話して欲しいと思っていた。少なくとも彼女の一生に関わるのだ。
 『彼女が一番欲しいものを、自分は絶対に与えてあげることが出来ない辛さ』とフィリップは言った。ソフィアはブリンゲルとの子供を望んでいたが、しかし、それは『彼と血の繋がった子』でなければいけないというわけでもないらしい。彼女の言葉を借りるならば『彼の子だと言って産めばいい』わけで、子供は『彼との婚姻の証』にすぎないのだ。
 あとの問題は何か。彼が『吸血鬼』であるということは、俺には大して障害にならないように思えたが、彼女にとってはブリンゲルが『何で』食事を摂るかは大きな問題だろう。
 十年前のあの日、七歳だった俺は『もう、ここには来られない』と悲しそうに告げたフィリップに抱きつき、泣きながら懇願した。『どこにも行かないで』と。『ずっと傍にいて』と。それが俺の望みの全てであり、そして、フィリップには『叶えてあげられる願い』でもあった。
「・・・わたしが怖くはないのですか?」
 美しい顔をゆがめて尋ねるフィリップに、俺は首を横に振った。
「貴方の首筋に噛み付いたのに?」
 俺は激しく首を横に振る。涙が頬を伝った。
「僕は『忘れる』よ。フィリップが忘れて欲しいのなら、僕は自分で『忘れる』。だからお願い、僕を置いていかないで・・・」
 そして、フィリップは俺を自分の家に連れて帰った。
 あれから十年・・・。フィリップは毎日俺のためにコーヒーを淹れ、ベーコンを焼く。

更新日:2011-12-26 20:03:46

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook