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無謀な冒険

父さんが体を張ったお陰で(?)、気持ちも大分落ち着きを取り戻しました。
……この先の不安がないと言う訳ではないのだけれど、夜な夜なその不安に押しつぶされるようなことはなくなりました。
病は気から……と言うのでしょうか。気持ちに落ち着きを取り戻し始めると、自分でも体調が良くなっていくのが分かり、
そして遂に退院日が決まりました。

退院が決まった日、退院の喜びと何か申し訳なさそうな気持ちが入り混じった複雑な顔をしながら、兄ちゃんが口を開きました。
「悟……悪いんだけどさ……俺、明日見舞いに来れない」
入院してから毎日見舞いに来てくれていた兄ちゃん。
寂しいと言う気持ちはあるけれど、2カ月以上もの間、毎日欠かさず来てくれた事を思えば、文句など言えません。
「いいけど……何で?」
「明日師範の法要があるんだ」

……師範。兄ちゃんが3歳から通う空手道場の師範。兄ちゃんにとっても父さん、母さんにとっても大恩人に当たる人で、去年癌で亡くなった。

「そっか……うん、行ってらっしゃい」
僕が聞きわけの良い態度を見せると、一層申し訳なさそうな顔をしていました。
「悪いな」
「いいってば……生きている者の務めなんだから。ちゃんとお務め果たして来て」
僕がそう言うと、兄ちゃんは口元をほころばせていました。

……実はこの時、僕はある計画を立てていたのです……。

翌朝。
『財前教授の総回診です』
と言う放送もなければ、名前もきっと財前ではないと思うのだけれど、その日は週に一度、エライ先生が子分(?)を沢山ひきつれて病室にやって来る日でした。
テレビの中だけかと思ったら、本当にありました。
後で聞いてみたら、僕の場合は特別だったらしい。
珍しい症例だったらしく、色々な医師がゾロゾロと見に……もとい、診に来ていました。
財前教授(←名前を知らないから勝手に命名)の回診が終わってナースセンターに向かう僕。
「あの~……外出許可って下りるんですよね?」
「ええ。もう大丈夫ですよ。そこに帰って来る時間とどこに行くかを書いてね」
何時に帰って来るかは分からないので、テキトーな時間を書いて“買い物”と書いて病室へ戻りました。

第二の皮膚と化しつつあるパジャマを脱いで、久し振りに普段着に袖を通し、同じく久し振りのスニーカーを履く。
「行ってきま~す」とナースのみなさんに挨拶をして、病院の外へ飛び出しました。

目指すは師範の眠っている墓地。
年末に兄ちゃんに連れて行って貰い、場所は知っていました。
墓地で合流して、親族の皆さまに頂いたお見舞いのお礼を言って、兄ちゃんと一緒に師範のお墓をお参り。
「お墓参り」とは書かずに「買い物」と書いたのは、万が一兄ちゃんが病院に来た時にバレない為。
何せサプライズ計画ですから。

……兄ちゃん、驚くだろうな♪

病院を一歩出ると広がる世界。中庭の切り取ったような空間とは、やはり開放感が違う。
久し振りに踏みしめるアスファルトの感触。
スニーカーの靴底のクッションが、なんだかふわりふわりと浮かんでいるような感覚にさせます。
「なんか変な感じ♪」
外の空気を吸って、窓越しではない日差しを直接頬に受け、開放感を満喫して超ご機嫌。

……だったのは最初の10分位まで。

僕は世の中がすっかり夏になっている事を知りませんでした。
……あ、暑い。
うすらぼんやりとは言え、冷房のかかった病室に2カ月も殆ど寝たきりで過ごしていたのです。
体力もめっきり落ちています。
病院から駅へ向かうバスを待つ間に眩暈を覚え始めました。
バスに乗るなり『僕は病人だから……』と言い訳を胸に優先席に座り、駅に着いて立ち上がった瞬間に再び眩暈。
駅のホームでフラフラしながら電車を待ち、キンキンに冷房の効いた電車に乗った瞬間息苦しくなり、手前の駅で一旦下車。
次に来た電車に乗ったら、快速電車だったものだから、目的の駅を通過してしまいました。
それを知った時に違う意味で眩暈を覚えながら、次に止まった駅で乗り換えたのだけれど、
ホームの階段を上ったり下りたりしなくてはならず、杖を付いているおばあちゃんにも追い抜かれるほどの牛歩を下回る亀歩状態。
駅構内独特のムッと籠った蒸し暑い空気に息苦しさを覚え、着ていたシャツも汗でびしょびしょ。
なんとか墓地の最寄り駅に着いたものの、この先、またバスに乗って墓地まで歩く事を考えたら、今動くのは危険と判断して、駅前のファーストフードで一休み。

……尋常じゃなく暑い……体力もすっかり落ちてる……そりゃそうだよなぁ。毎日寝ていただけだし。

早く行かなければお墓参りが終わってしまうと焦りながら、コンビニでスポーツドリンクを3本購入して、再び炎天下の中へ飛び込んだのでした……。

更新日:2010-07-30 17:07:41

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