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小説

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泣きっ面に蜂

足の骨の腫れモノは幸いにも良性で、手術も無事に終わりました。
多少気持ちに落ち着きを取り戻しつつはありましたが、やはりずっとベッドで横になっている毎日でした。
時折、兄ちゃんが「外の空気を吸いに行こう」と言って、病院から車いすを借りてきて、押して貰いながら散歩に行く事がありました。
……本当は凄く嬉しかったのに、なぜか嬉しいと言う気持ちを見せないようにしていたような気がする。
自分でも何故かは良く分からない。
全てにおいて自分の事が分からなくなっている、そんな状態でした。

寝てばかりいて寝違えたのか、腰に痛みを覚え始めました。
数日後、腰の痛みは一気に全身に広がりました。しかも激しい痛み。
寝返り打つ事も出来ないほどの痛みで、うなる事しかできない。
ドクターはすぐに帯状疱疹と診断を下し、すぐに抗生剤の点滴が始まりました。
回復の兆しが見えた4日目に、抗生剤の激しいアレルギー反応が出て即刻投薬中止。
全身に発疹が出て痒みと熱にうなされました。

……もう何をする気にもなりませんでした。

一日中うつらうつらと眠っている毎日。
見舞いに来てくれた家族との会話はなし。
……内心で、これで良かったと思っていました。
それまでも話をする事を放棄していましたが、黙っていることに罪悪感を覚えなかった訳ではありませんでした。
けれど今度は本当に辛くて話したくても話せないんだと言う言い訳を見つけたようで、これで堂々と黙っていられると思いました。
もう話したくない。話せば勢いで「助けて!」と無理難題を吹っ掛けて困らせらせてしまいそうだから。
口を開けば家族を困らせる。何か考えれば嫌なことばかり考える。
もう何もしたくない。もう何も考えたくない。
病気がつらいだとか、早く治りたいと言う気持ちは一切ありませんでした。

父さんは出勤前や仕事明けに病院に来られる時は見舞いに来ていました。
母さんは、入院当初から、生徒さんの発表会やコンクールが近かったのでそちらを優先するように頼んでいましたが、それでも時間を作っては来ていました。
兄ちゃんはバイトも稽古も休んで毎日来ていました。
……「毎日来なくてもいいよ」と僕が言わないでいるのは、それが嬉しかったからだと思う。
でも毎日顔を合わせれば、それだけ当たり散らす機会もわがままを言って困らせる機会も増える。
それでも毎日来てくれる兄ちゃんが愛おしくて……でも「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えない自分が情けなくて……。
来てくれる事が嬉しい、一緒にいてくれる事が心強いと思った数分後に、煩わしいと思ってしまう事のある自分が許せなかった。

ある日、兄ちゃんが見舞いに来るなり、布団をかぶって眠ってしまった僕。
目を覚まし、薄眼を開けて兄ちゃんの様子を窺うと、何をするわけでもなく、ベッドの脇の椅子に黙って座っていました。
兄ちゃんの顔を見ないように、そっと手を伸ばすと、兄ちゃんは黙ってその手を握ってくれました。
その手を強く握り返すことが、その時の僕に出来た精いっぱいの「ありがとう」と「ごめんなさい」。

……本当は言葉で伝えなくてはいけないのに。
でも兄ちゃんなら分かってくれると、手を握ることで伝えると言う楽をしている。
こんな時にも兄ちゃんに甘えちゃうんだね、僕は。
体の病気の事はこの際いい……早く心が元気になりたい。

ある時、「明日も来てね」と言う気持ちを込めて、病室から出て行く兄ちゃんに手を振ると、
いつもの「何か欲しいものはあるか?」ではなく、「また明日な」と言って出て行った兄ちゃん。
……本当に兄ちゃんは僕の気持ちを手に取るように分かってくれる……。

でも本当に明日も来てくれるの?
来てもきっと当たり散らしちゃうんだよ。
だから本当は「来て」なんて頼んではいけないのに……。
明日は……兄ちゃんを困らせるような事はしたくない……。

病室で一人になると、また考え事が始まる。
前向きに頑張ろうと言う気持ちと、今度はいつ、今度はどこ、こうして一生怯えながら生活しなくてはいけないのかと、不安になる気持ちがせめぎ合い、胸が苦しくなる。苦しくて眠れない。眠れないから考え事が始まる。
……折角芽生えかけた「頑張ろう」と言う気持ちが、すぐに不安に押し潰されて消えてしまう。
「情けない」と叱責する自分。「仕方ないじゃないか」と擁護する自分。

そんな自分自身の声が、本当に自分のものであるのか分からなくなり、
自分が誰なのかすら分からなくなりそうで怖くなる……。

更新日:2010-07-30 16:26:15