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第二章


和樹に会えるその日を、祈るように待ちながら、毎日家に閉じこもり、パソコンに文章を入力する。
浅田の指示どおりに変更した小説は他人が書いたような違和感があり、絶望に似た感情が湧く。
連載の手を止めるわけにはいかない。生活が掛かっているのだから。と自分に言い聞かせ浅田の気に入りそうな小説を書く。
書くことが好きで小説家になったのに、今わたしを苦しめているのは、書くという行為そのものだ。このままではもう二度と、書きながら笑いたくなるくらいの快感や、書き終わった時の胸躍る達成感を、味わうことが出来ないのではないかと思う。

小さな箱の中に閉じ込められ、もう誰とも繋がること許されず、発光するディスプレイを永遠に眺めながら、ただ文字を羅列するだけの機械になる。「断絶」という文字を打ちながら泣きたい気持ちに襲われて、わたしは外に出ることにした。

太陽はまだ高く、羽織ったパーカーが少し暑い位の陽気。
ちょっとそこまでのつもりだったのに、わたしは駅に向かって歩いていた。
なんでも揃う隣町までの切符を買い、電車に乗り込む。制服の学生や、老人や女性や男性が、みな思い思いの方角を向いている。
これだけ沢山の人がいるのに、好きな人は一人だけ。その人は遠くにいる。
そのことをわたしは、いつになく不思議に感じていた。

電車を降りて、街を歩く。
綺麗に飾られたウインドウ。クレープの美味しそうな香り。
どこかから流れてくる聴いたことのない賑やかな洋楽。
それら全てが、わたしの中の機能することを忘れていた部分に、積極的に働きかける。
わたしは初めて聴くメロディーを口ずさみながら、雑貨屋の軒先で売られていたワイヤープランツという小さな植物を買った。

丸い葉が鈴なりについている細い茎が、四方八方に伸びている。
これを飾ればあの殺風景な部屋も、少しはマシになるかな。
でも和樹はきっと気付かない。そういうことにとにかく無頓着だから。
わたしが和樹のために用意したんだよって言ったらきっと、いつもみたいに私をなだめて、わざと大げさに褒めるんだ。

更新日:2010-07-05 16:11:04

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