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序章 2


 ───静かだなあ。

 本当に、何の音もしない。ものすごく静かだ。おまけにあたりはまっくらで、何も見えない。ただただ深く、暗い闇。

「ふう……」

 その闇と、静けさを打ち消すように、声を出してみる。しかしそれは、すぐに闇へと消えてしまった。

 ───どうしてこんなところにいるんだろう───。

 ため息をついてみる。けれどそれも虚しく散っただけ……。

 ポロン……。
 
 美しく澄んだ音が、あたりに響き渡った。音のする場所を中心に、ほんのすこし、闇が白んだ。音は銀色の竪琴から発せられている。奏でているのは一人の少年。地面に腰をおろした少年の長い髪が、竪琴に照らされて、青白く輝く。白く細い指先が、次々と弦を爪弾き、やがて音は、曲になる。曲とともに、少年の唇から歌が流れた。少年の声と旋律が、美しく絡み合う。


 とおい とおい むかし しろうさぎ
 月を見上げて想いを馳せる。
 月までは遠すぎて……


 じゃら……ん。

 竪琴の音が乱れる。途切れた歌のかわりに、少年は深いため息をついた。
 やがて竪琴の余韻はすっかり消え、あたりは再び、闇に閉ざされる。

「……ここ……」

 考えてしまう。ここが、どこなのか。これからどうすればいいのか……。けれど、考えても、何もわからない。心あたりなんて、ひとつもない。

 少年はたった一人だった。暗闇の中で、独りきりだった。
 けれど、寂しさや不安を感じているようには見えない。疑問や不審を抱いてはいても、自分がここにいることが自然にさえ、少年には感じられた。もしも誰かに、ここですべてを受け入れ、運命の導くままに生きろと言われたならば、なんの疑いもなく、そうするだろうというくらいに。

 何よりも少年は、普通、真っ先に考えそうなことを、考えていない。ここが自分のいた場所でないのならば、自分が今までいた場所はどこなのか。自分の周りにいた人は、今どうしているのか。そんなことを、いっさい気に留めていないように見える。
 そして少年は、これからのことを考えている。まるで 『今まで』 を、捨ててしまったかのように。自分の過去などには、何の疑問も持たずに。

 うつむいて考えていた少年が、ふと、顔を上げる。少年の目が見開かれ、表情が変わっていく。
 少年の瞳にうつったものは、今までのような闇ではなかった。少年の顔が、赤く照らされる。
 少年は炎に囲まれていた。赤い、赤い……すべてを焼き尽くすような紅蓮の炎に。少年は立ち上がり、あとずさる。

 ひどい耳鳴りのあと、激しい頭痛が少年を襲った。
「く……う……っ」
 割れそうな頭を、両手で押さえる。足元がふらつく。
「あ……あぁ……」
 声が震え、かすれていく。少年の顔は蒼白で、瞳には光がなかった。

 ──────ガタン

 竪琴が腕からすべり落ち、地面に弾かれ、鳴り響いた。
 そして───。

 竪琴はひとりでに曲を奏ではじめる。少年は体中の力が、抜けていくのを感じた。そこに立っていることは、ささやかな抵抗。しかし、それも長くは続かない。
 少年は力なく、その場に崩れ落ちた。

 
 風が、吹き抜ける。空色の長い髪が揺れる。
 先ほどまでの炎は、何事もなかったかのように消えていた。

 ───月までは遠すぎて ただの一歩も近づけない───

 薄れていく意識の中で、風が歌ったように感じた。

更新日:2010-05-07 18:31:23

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