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第三章 銀の女王

西暦2010年。6月上旬。大取探偵事務所。

「……ああ、わかってるよ。気をつける。……わかったって。もう切るぞ。じゃあな」
パチンと音を立てて折り畳んだ携帯をやぶけたジーンズのポケットにねじ込んだのは長髪長身の男。
「千夏ちゃん、喜んでた?」
彼に声をかけたのはグロテスクなほどに整った顔立ちの女。
革張りの豪華な安楽椅子にそのしなやかな肢体を預けている。
「ああ」
男はシャツの胸ポケットから赤いパッケージの煙草を取り出し、そこから一本抜き取ると、口に咥えた。
「ンフフ。そう」
女は満足げに破顔した。
「例外が出たことを考えれば、素直に喜んでいられないんだがな」
銀のジッポの蓋を開きながら言う男。
……が、一瞬逡巡の表情を浮かべた男はそれを胸のポケットに仕舞い込み、咥えていた煙草もソフトパックの中に戻した。
「別に見られてるわけじゃないんだから吸えばいいのに……。ナギ兄ちゃんは正直ねえ」
目を細めて薄く笑う女に男はフンと鼻を鳴らしてみせた。
「仕事も一段落着いたが……どうする?」
縁のない眼鏡をかけた男。
その目は鋭い。
「かわいい妹の生徒さんたちが噛んでて気が気じゃないお兄さん……。可愛いいわよ、渚」
「やるか?」
「ええ」
「勝算は?」
「どうかしら」
「お前も俺も、もうあの頃のようには動けんぞ」
「あら、失礼ね。この間の私の剣捌き、見ていなかったの?」
「あれはチンピラだろ。しかし、あいつらは……」
男の言葉を遮るかのように、女がスラリと立ち上がった。
「朝飯前、よ」


西暦2010年。6月上旬。桃ノ葉学園食堂。

「毎日毎日雨ばっかりでいやんなっちゃうよね~」
紙パックのオレンジジュースを片手に私。
「そうかなあ。私は雨好きだよ?」
隣の命がアップルジュースを手に小首を傾げた。
体育館を遥かに凌ぐ床面積。
そこにズラッと並んだテーブルと椅子。
吹き抜けの天井。
幾台もの券売機や自動販売機。
壁面に整然と配置された巨大な掃き出し窓の群れ。
これでもかといわんばかりに財を投入した我らが桃ノ葉学園ご自慢の大食堂にて、私――井上ほのか――とその親友――白石命――は、平和な放課後を過ごしている。
「え~! 雨降ってるとさ~、服とかジメジメして肌に張り付いてくるしさ~、気持ち悪いじゃん!」
「うん。それはちょっといやだね。でも、雨って見てると落ち着かない?」
「落ち着くっていうか……眠くなる」
「うふふ。ほのからしいね」
「命はまだ半袖にしないの?」
「うん。私、寒がりだし。強制移行までこのままでいるつもり」
我が校は現在、冬服から夏服への衣替えの移行期間中。
この期間は冬服と夏服のどちらを着用してもよいことになっている。
六月一日の移行期間突入と同時に夏服に切り替えた私とは対象的に命は冬服のままだ。
「命ってほんとに筋金入りの寒がりだよね~。この時期にブレザーまできっちり着てるの命くらいだよ?」
「そうだね。でも、寒いんだもん」
「暑がりの私には考えられないよ~」
一部の乱れもなくブレザーをきっちりと羽織っている命の姿に私は思わず苦笑い。
「あ、そういえば。結局命は部活には入ったの? 文芸部と園芸部で迷ってるとか言ってたけど」
話題を転換し、尋ねる。
「園芸部に入ったよ」
「そうなんだ。園芸部ってなにやるの?」
「いろいろしてるよ。お花や野菜の栽培はもちろん、学校の花壇の手入れとか。あと、図鑑で植物のこと調べたり」
「え!? 野菜なんて作ってるの!?」
「うん。三号館の裏手に菜園があって、そこで」
「わ~! いいな~! 収穫したら私にもちょうだい!」
「うん。いいよ。でも、お天気とかの関係で収穫量が減っちゃうこともあるから、あんまり期待しないでね」
「うん! これからの時期だったらピーマンとかでしょ~? チンジャオロースーにして食べよ~っと。楽しみだな~!」
細切りにした肉とピーマンのめくるめくハーモニーを想像して目を輝かせる私。
「ほのかは? 何か部活入ったの? 最近、放課後になるとどこかに出かけてるみたいだけど……」
命が投げかけてきたその質問に、私の頭の中のチンジャオロースーはあっけなく掻き消えた。
入れ替わりに皿の上に乗ったのは、エクスロスやエレーモスといったどうにも不味そうな料理。
当然、命にそれらのことを話すわけにはいかない。
「え……えーと……」
口ごもる。
「……?」
命は不思議そうな面持ちで私の回答を待っている。
「……ま……マッドサイエンス同好会!」
「マッドサイエンス同好会!?」
目を丸くした命が、オウム返しに叫ぶ。
「し、しー! 命声おっきい! あの部のことは極秘なんだから!」


更新日:2011-04-16 20:58:51

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