• 8 / 95 ページ

5-6/親しみを込めて祢々ちゃん


 その頃、華子は二荒山神社の裏手で立ち尽くしていた。いや、彼女は幽霊で足はないから、厳密には立っているといっていいものか迷うところではあるが――。

「……太郎さーん……。」

 どういうわけか、華子はその森の中に入る事が出来なかった、或いは神社から出ることが出来ずにいた。ちょうど神社の敷地と森の境界線の辺りに見えない壁があるようで、実体のない華子はそこで食い止められている。

「太郎さーん……帰ってきて下さいー……。」
「……そこで何をしている?」
「ひゃっ!」

 置き去りにされること。幽霊にとってそれ以上の苦痛はない。半泣き状態で見えない壁を力なく叩いていると、不意に声を掛けられて華子は肩を震わせた。
 ……こちとら一介の幽霊だ。声を掛けられるなんて全く思ってもみなかった。恐る恐る首を回すと、そこには一人の知り合いと、それからもう一人の見知らぬ女性が立っていた。なんだっけ、あの衣装。平安時代くらいの……そうだ、十二単だ。

「う――ウグメさん?」

 白髪に黒い角みたいなラインが入った奇妙な頭の、顔色の悪い女の霊――ウグメは至って真面目な表情で華子を見つめていた。
 エプロンのようで、メイド服っぽい、ローブみたいなよく解らない衣装は健在。どうせその長い袖の下には、また柄杓ではなくしゃもじを隠し持っているのだろう。
 柄杓で船を沈める事を本業とする舟幽霊でありながら、神々を運ぶアメノトリフネという神船の意思でもある特異な神霊。それがウグメの正体であり本質だ。太郎が沖縄に行った際、連れて帰ってきたカオスの一つである。
 その彼女が、海から離れたこんなところで何を?

「……なんでウグメさんが此処に?」
「なんでも何も、私はタロウの警護役。彼を守るのが私の使命。それだけ。」
「は、はぁ……。」

 低いテンションで淡々と言い放つウグメ。
 要するに憑いて来たのだ。普段は東京湾とか多摩川で、舟幽霊としてボンヤリ過ごしているだけのくせに。たまに沖に出たかと思えば、日本の経済水域の外で勝手にマグロを獲ってきてるくせに。
 漁業組合と衝突したらどうする心算だろう? あぁ、沈めるのか。舟幽霊らしく。いいなぁ、強い妖怪は。やりたい放題じゃない。
 にしても警護役だからというのも、果たして何処まで信用できる理由だか。
 どうせ太郎さんの近くにいたいだけに違いない。そうはさせるものですか! ……と叫びたいけど、ウグメ、怒らせたら怖いんだよなぁ……仮にも神だもの……本当、強いってずるい。

「でも海から遠いから、私一人の力では彼を守れない。だから助っ人を連れて来た。」
「助っ人?」

 あぁ、それで――。
 華子は納得して手を叩いた。ウグメの隣におわす見慣れない十二単の女こそ、つまりウグメが呼んだ“助っ人”なのだ。
 華子と目が合うと、その十二単の平安時代風な女は、しかして今風の令嬢みたいな、洒落たお辞儀で応える。

更新日:2010-06-03 22:48:39

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook

はなこさんと/第五話「るまきさんと」