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第一章

 空は見事に晴れている。今日も、また暑くなりそうだった。
 正午までにはまだ数時間ある。小さく欠伸をして、守島咲耶は大通りから細い路地へと踏みこんだ。
 路地というよりもむしろ、ビルとビルの間の通路、と言った方がいいのかもしれない。薄暗いそこを数メートル進み、建物の中へ続く階段に足をかける。三階まで登ったところで、色ガラスの張ってあるドアを開けた。
 カウンターの中でグラスを磨いていた男が顔を上げる。
「久し振り、マスター」
「や、守島くん。すまないね、呼び出して」
 ぱたぱたと片手を振りながら、咲耶が男の前のスツールに腰を下ろす。
「何言ってんだよ。仕事紹介してくれるっていうんだから、礼を言わなきゃいけないのはこっちだろ。まだ来てないよな?」
 周囲を見回しながら訊く。狭い店内の一番奥には大きな窓が取ってあり、眩しい日差しが差しこんできている。
「ご覧の通りね」
 客の一人もいない喫茶店の中で、マスターは軽く肩を竦めた。
 しかし、普段からこの店に客が来ない訳ではない。隠れ家的な雰囲気が気に入って通ってきている常連客も少なくはないのだ。現在誰もいないのは、時間的なものも確かにあるだろうが、多分に意図的なものではないかと咲耶は睨んでいた。どちらにせよ、感謝しなくてはならないだろう。

更新日:2008-12-15 21:54:58

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