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(続き)

 兎にも角にも、その横書き小説の日々で自分なりに色々と工夫を重ねました。
 一字下げというテクニックを喪失していた私は、どうすればギッチリ感を解消して爽やかに読みやすい体裁に出来るかを悩みます。
 ある時は一文ごとに空白行を設けてちょっと詩のような形にしたり。
 しかし全部それだと何かが違う。上手く説明できないけれど、なんというか…パワーが薄まってしまっている感じ。
 じゃあ一文ごとに改行という手法はそのままに地の文全体をくっつけて、会話の文は空白行を入れてから置く。その後にまた空白行を入れて地の文… 悪くない。
 しかし! 会話を連続させた時はどうするか? 会話は会話でくっつけるか、それとも全部切り離すか……。
 やってみると、なんだろうコレ…なんか食い散らかしたような落ち着きのなさ。

 試行錯誤と迷走は続きました。また、作品ごとにもベストの形が違うのだと、掌編や短編が増えていくことで気付き始めました。
 この悩みはある程度のバランスを見つけた今も相変わらずついてきます。

 そしてもう一点、四年間の執筆活動の間にぶち当たった問題がありました。
 横書ネット小説では、私はある一つのテクニックを自然と使っていたのです。それは、空白行を設けることによって場面転換や時間の経過を表現するというものです。
 それは実に有用で、こういう形態の舞台にマッチした手法だと思います。制限のないアマチュアの世界だからこそ出来る技。
 時には縦スクロールの間に一瞬「一文字もない空白の空間」を挟み、その間に読者様の心に何かを感じさせ、そして劇的な場面転換で再会する…そんな手法も駆使しました。
 ネットにはネットで完結するものがあり、その場所自体が本番と言えます。なので感動を与えることが出来ればそれで満点。本番の後に「正しい文章ルールは…」という言葉を持ちだすのは本末転倒のように思います。その一作品の為としては。
 だから、こういったテクニック自体はきっと一つの正解。

 しかし、私がぶち当たった問題。
 ある日ふと気付きました。
 私は、空白行に頼り過ぎて文章で場面転換を表現することが出来なくなりかけていたのです。

 すぐさま、当時書いていた小説で試しに空白行をデリートしてみました。
 すると、クッションがあるべきところに言葉が不足していて、唐突すぎる場面や時間の移り変わりがすんなり受け入れられない。仮にこの体裁で発表してみたとしたら、作者の自分だけが物語の流れに辛うじてついていけて、読者様は置いてけぼりになってしまいかねないのでは?
 それは私にとっては戦慄をともなう副作用でした。
 機能に頼るあまりに一番大切な言葉の方に努力が欠けていたのです。
 一作品としては良かったテクニック…でもこのまま開き直って突っ走っていいのだろうか!?

 そして、その「気付き」が新たな希望の光の始まりでした。
 『The Gleam of Hope』(プログレッシブ和英中辞典)
 的な! 英語力に絶望しつつ次回【電子と紙と俺達に明日はある】へ続きます。

 さて、この手紙を「ごはんですよ」の瓶に詰めて蓋をして…と、文明圏に届きますように。(ぱんぱん


               あっさり水底に沈みました。島仙花

 

更新日:2010-06-16 23:37:35

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