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(続き)
 
 感性だけで紡いだ小説…というのもありますね。そういう作品も好きです。
 それが心から滲み出て来たものだと言うのなら、そこにはその人なりの願いがあるものです。たとえ想いがはっきりとせず混沌としていても。
 だからこそ私は何かを受け取れる。感動して、感想が生まれます。
 ですが、ただ技巧であり、奇をてらっただけであり、何か伝えたいわけでもない自己完結の落書きならば…それを送り出されても受け取れる熱がありません。
 もちろん、そう感じる時は私の感受性の問題でもあるでしょうけれど。

 時に、面白い作品でありながら、「この人は他人の言葉なんて求めていないのでは」と感じさせられることがあります。
 自分の作品に自信を持っていない?
 どこか諦めている?
 …そんな時、私も言葉(感想)を失います。
 自分が生み出した作品に愛情も憎しみも持てなければ、それは子供を捨てて忘れ去るのも同然。その子を見て感動する人はきっといないでしょう。

 私にとって感想とは作品の欠片です。
 そこに込められた命が外に溢れさせる一滴のようなものです。作品の延長と言ってもいい。
 思うというより、想わされるんです。
 だからそれを心を込めて形にします。一度の感想に数十分をかけることもザラですし、一時間二時間ということもありました。
 今までに感想を書いてきた作品はどれも、作者様の想いと願いを感じる作品。文章力は二の次。


 そして、作者様に感動を伝えるだけではおさまらないほどに心が動かされてしまった時、私は「絶対多くの人に触れてもらいたい」と奮い立ってレビューを書きます。
 なので私がつけたレビューは(青木賞作品を除いて)すべて五つ星評価だったと思います。
 そしてそこには必ず、渾身の言葉を添えています。だってどうしても読んでみて欲しいんですから。
 ちなみにその気持ちのせいで、連続で素晴らしい作品に出会った時にレビューを我慢したことがあります。
 自分でお薦めした作品を自分であの欄から押し流してしまうのが躊躇われて。
 いま思えば馬鹿だったなぁと苦笑い。あの人のあの作品、気持ちが一番熱いうちに皆に薦めたかった…ごめんなさい、○ ○○さん。(笑

 む、もうチャイム鳴っていましたね。
 では今回はここまで。
 次回は太平洋を板きれで渡る私達の、笑いあり、涙あり、そして概ね絶望的な大冒険をお伝えしていきたいと思います。

 敬礼したままの授業、お疲れ様でした。
 気を付け!
 礼!
 どうもありがとうございました~!

 あ、お土産に胃薬差し上げます。私もいまお世話になっています。


                              I'm〝仙花派〟
 

更新日:2010-06-16 23:36:58

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