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作品の誕生日

 
 作品はいつ命を持つか。

 おっと、私としたことがいきなり真面目に始めてしまいました。
 こんばんは、仙花です。
 たぶんね…仙花です。
 信じるか信じないかは貴方次第ですが…フフフ。

 さて、仙花かもしれない私が今日はこちらで語らせて頂こうと思います。
 本日のお題は冒頭で述べたように

 【タンスと小指と激痛のダンス】

 です。
 いえ、この前ぶつけたので。タンスじゃなくてベッドの角でしたけれど。

 こほんっ
 …皆さんは作家である日々の中で、作品はいつ命を持つと感じていますか?
 私は、その瞬間は二度あると思っているのです。

 その一つは、『完成した時』。
 もちろん、創作中、人物を描いている最中に、彼らや彼らの暮らす世界に生命を感じています。
 色や、音や、匂いや、温度。
 物語を紡いでいる最中に私自身が笑ったり怒ったり泣いたりすることも度々です。
 ですがこの段階ではまだ、彼らは限りなく息づいていながらも、「存在することを許される予定」止まりだと思うんです。
 作者が途中で投げ出す可能性のある内は、彼らは仮初の命でしかないのではないでしょうか。
 作者が、その作品における最後の一文字を記した時、その世界は作者自身ですら打ち壊すことのできない「本物の世界」になると思います。存在することを完全に許されたのです。

 そして、作品はもう一度命を手に入れます。
 こちらは言うまでもないのですが、『一人目の読了者が出た時』です。
 その瞬間、物語は作品の中から飛び出してその人の中で生きていきます。
 たとえその後思い出されることがなくても。
 一度受け取ったものは必ず心に一つの足跡を残し、その人の細胞の一つになるのですから。
 それはいつか無意識の中でその人の生き方…小さな選択に影響を与えるかもしれません。
 作品が存在したこと、それはサイトから完全削除したり、絶版になって最後の一冊まで処分されたとしても、もう決して覆りません。
 それが一人目の読了者の力であり、作品が二度目の命を得るということです。
 そしてその先は無限に生み出される。読み手の数だけ作品から物語は飛び出し、十人十色の姿で生き続けていきます。

 …では「連載」はどうなのでしょう?
 完成でも読了でもないのでは?とお思いでしょうか。
 いえ、作者に送り出された部分を読者が全て受け止めればそれが読了だと私は思います。
 つまり第一話を発表し、誰かが読み切ってくれた…その時点で作品は命を持ちます。その人の心の中に存在することを許された、そういうことだと思うんです。
 そして同時に、作者は「責任」を持つことになります。
 この辺の想いに関してはまた別の機会にお話したいと思います。
 だってここまでで1132文字だもの。(ミツヲ

 前置きが長くなりましたね。(えっ前置き!?
 ここからが今回の本題です!!
 カッカカカッカカッ!

 【感想とは私にとって】

 (チョークを置きつつ)
 はい、ではあちらこちらの作品に感想を述べさせて頂いている私の熱い想いをかた≪キーンコーンカーンコーン…≫
 …本日の授業はここまで!
 次回はこのページの続きから始めて【レビューとは私にとって】の項目まで進められたらと思います。予習を忘れずに。
 起立!
 気を付け!
 礼!
 ありがとうございました~。

                              ニセ仙花
 

更新日:2010-06-16 23:36:14

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