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第壱ノ巻 広間のモチノキ
其ノ弐拾陸
少しずつ晴れて来る朝靄の中、陽の差し込む木立の合間を運ばれて来るちいさな籠が、兵士達の影とともにぼんやりと浮かび上がった。
城の裏庭への出入り口の石段に腰を下ろしていた王子は、その姿を認めて立ち上がり、迎えに出る為に石段を下りて広い裏庭を通り抜ると、ちいさな石造りの門の傍らで籠の到着を待った。
やがて裏庭の門前に到着した籠は静かに降ろされ、兵士達は王子に一礼するとその場を離れて城の中へと消えて行った。
後に残された王子は兵士達が姿を消した後、籠の中の者に向かって声を掛けた。
「朝早くからお越しいただき申し訳ない。昼間だとなにかと人目に着くため、申し訳ないがこの時間に迎えを遣らせていただいた。部屋を用意してあるので、とりあえずそちらで少し休んでから広間にお越しいただきたいのだが……」
王子の挨拶に対し、籠の中からの応答はなく物音ひとつしない。兵士達はなにも言っていなかったから、確かに使いの者は籠の中に乗っているはずなのに、その気配はまるで感じられなかった。
「……?」
王子が籠に近づき、ちいさな物見窓を細く開けると、隙間から椅子に座っている女物の衣が見えた。
……なぜ降りて来ないんだ?
「身体の具合でも悪いのか? ……開けるぞ?」
王子はひと言声を掛けてから、籠の扉を大きく開いた。
籠の中にはよく見知った顔が口を開けて寝入っている姿があり、彼はひとつ溜息をつくと急に態度を崩して籠の中に身を乗り入れると、眠りこけているノンノに声を掛け、肩に手を置いて揺り起こした。
「オイ、着いたぞ。起きろ」
「……ん~……あり? ……もうお城に着いたんですか?」
「来たのはおまえだけ?」
「はい、そうですよ。おはようございます、王子」
「あぁ。とりあえず籠から降りろ。部屋に案内するから」
「はい~。籠が揺れるのが気持ちよくて寝ちゃいました」
ノンノの言葉に王子は笑って頷くと、籠の屋根に手を掛けた。
「朝早かったからな。おまえ飯は? もう食った?」
「はい。食べて来ましたけど、まだまだ入ります♪」
眠そうに瞼を擦りながら籠の戸口に近寄ってきたノンノに手を伸べると、ノンノは椅子に置かれている布にくるまれたちいさな包みをだいじそうに抱え、もう一方の手で王子の手を取ると籠の戸をくぐり、城の裏庭に降り立った。
「ふわぁ~! お城の後ろにもすごく立派なお庭があるんですね~!!」
裏庭、といってもその敷地はかなり広く、ふたりが会っている天楽区傍の河原とほぼ同じ規模の敷地が、城の建物の裏手に拓けていた。
手入れの行き届いた木立や植え込みの他に、庭の中央には翼のついた獣の彫刻がそびえ立つ大きな噴水がキラキラと輝く水盤に清らかな流れを落とし、そのままちいさな清流となって庭園を巡っている。
「こっちにはあまり立ち入る者がいないから、迎えの籠は裏手に回して貰った。この間のように正式な出迎えができなくて申し訳ない」
「いえ~。ノンノは別に気にしてませんー。それより王子」
あれは、なんの動物ですか?
ノンノが指差す先を眺めて、ああ。と、彼は頷いた。
「この国の地下には昔から砂とぶ厚い岩の層が走っていて、水の湧き出し口は作れなかったんだ。だけど、おまえの先祖達の力を借りて地下深くを通る水脈を分岐させた時に、水と一緒にあの生き物が飛び出して来たっていう記録が残ってる。実際にあんな姿をしていたのかはわからないけど、多分想像で造ったんじゃないか?」
「ふーん……そっくりですね」
「え?」
「ミーナ族長のお家にも、あの動物とよく似た絵があるんです」
「へえ……それなら天楽区ともなにか関係があるのかも知れないな」
並んで庭を歩きながら、ノンノはじっと彼の顔を見あげた。
額に掛かる漆黒の髪が、朝日を浴びて艶やかに輝いている。
「王子の髪は本当にきれいですね~。陽の光に当たると時々、碧色にも見えて……ピカピカしてます。ふわぁ~」
「きれいって……確かに珍しい色ではあるな。オレは生まれた時からずっとこうだったし……でも、どちらかと言えば、いろいろと煩わしく思うことの方が多かったかも知れない」
黙って自分を見あげてくるノンノに気づいた王子は、少し笑った。
「なんでおまえがそんな顔するんだ?」
「……王子はいつか、この国の王サマになるんですよね?」
「うん。まぁ、このまま行けばそうなるかな。だけど現王帝陛下はご健在だし、今すぐってわけじゃない。まだまだオレもこの国や周辺国について学ばなきゃいけないことは数多くあるし」
「ミーナ族長と王子の髪の毛の色が同じなのは『統率者の才覚』があるからですか?」
「――どうかな」
其ノ弐拾陸
少しずつ晴れて来る朝靄の中、陽の差し込む木立の合間を運ばれて来るちいさな籠が、兵士達の影とともにぼんやりと浮かび上がった。
城の裏庭への出入り口の石段に腰を下ろしていた王子は、その姿を認めて立ち上がり、迎えに出る為に石段を下りて広い裏庭を通り抜ると、ちいさな石造りの門の傍らで籠の到着を待った。
やがて裏庭の門前に到着した籠は静かに降ろされ、兵士達は王子に一礼するとその場を離れて城の中へと消えて行った。
後に残された王子は兵士達が姿を消した後、籠の中の者に向かって声を掛けた。
「朝早くからお越しいただき申し訳ない。昼間だとなにかと人目に着くため、申し訳ないがこの時間に迎えを遣らせていただいた。部屋を用意してあるので、とりあえずそちらで少し休んでから広間にお越しいただきたいのだが……」
王子の挨拶に対し、籠の中からの応答はなく物音ひとつしない。兵士達はなにも言っていなかったから、確かに使いの者は籠の中に乗っているはずなのに、その気配はまるで感じられなかった。
「……?」
王子が籠に近づき、ちいさな物見窓を細く開けると、隙間から椅子に座っている女物の衣が見えた。
……なぜ降りて来ないんだ?
「身体の具合でも悪いのか? ……開けるぞ?」
王子はひと言声を掛けてから、籠の扉を大きく開いた。
籠の中にはよく見知った顔が口を開けて寝入っている姿があり、彼はひとつ溜息をつくと急に態度を崩して籠の中に身を乗り入れると、眠りこけているノンノに声を掛け、肩に手を置いて揺り起こした。
「オイ、着いたぞ。起きろ」
「……ん~……あり? ……もうお城に着いたんですか?」
「来たのはおまえだけ?」
「はい、そうですよ。おはようございます、王子」
「あぁ。とりあえず籠から降りろ。部屋に案内するから」
「はい~。籠が揺れるのが気持ちよくて寝ちゃいました」
ノンノの言葉に王子は笑って頷くと、籠の屋根に手を掛けた。
「朝早かったからな。おまえ飯は? もう食った?」
「はい。食べて来ましたけど、まだまだ入ります♪」
眠そうに瞼を擦りながら籠の戸口に近寄ってきたノンノに手を伸べると、ノンノは椅子に置かれている布にくるまれたちいさな包みをだいじそうに抱え、もう一方の手で王子の手を取ると籠の戸をくぐり、城の裏庭に降り立った。
「ふわぁ~! お城の後ろにもすごく立派なお庭があるんですね~!!」
裏庭、といってもその敷地はかなり広く、ふたりが会っている天楽区傍の河原とほぼ同じ規模の敷地が、城の建物の裏手に拓けていた。
手入れの行き届いた木立や植え込みの他に、庭の中央には翼のついた獣の彫刻がそびえ立つ大きな噴水がキラキラと輝く水盤に清らかな流れを落とし、そのままちいさな清流となって庭園を巡っている。
「こっちにはあまり立ち入る者がいないから、迎えの籠は裏手に回して貰った。この間のように正式な出迎えができなくて申し訳ない」
「いえ~。ノンノは別に気にしてませんー。それより王子」
あれは、なんの動物ですか?
ノンノが指差す先を眺めて、ああ。と、彼は頷いた。
「この国の地下には昔から砂とぶ厚い岩の層が走っていて、水の湧き出し口は作れなかったんだ。だけど、おまえの先祖達の力を借りて地下深くを通る水脈を分岐させた時に、水と一緒にあの生き物が飛び出して来たっていう記録が残ってる。実際にあんな姿をしていたのかはわからないけど、多分想像で造ったんじゃないか?」
「ふーん……そっくりですね」
「え?」
「ミーナ族長のお家にも、あの動物とよく似た絵があるんです」
「へえ……それなら天楽区ともなにか関係があるのかも知れないな」
並んで庭を歩きながら、ノンノはじっと彼の顔を見あげた。
額に掛かる漆黒の髪が、朝日を浴びて艶やかに輝いている。
「王子の髪は本当にきれいですね~。陽の光に当たると時々、碧色にも見えて……ピカピカしてます。ふわぁ~」
「きれいって……確かに珍しい色ではあるな。オレは生まれた時からずっとこうだったし……でも、どちらかと言えば、いろいろと煩わしく思うことの方が多かったかも知れない」
黙って自分を見あげてくるノンノに気づいた王子は、少し笑った。
「なんでおまえがそんな顔するんだ?」
「……王子はいつか、この国の王サマになるんですよね?」
「うん。まぁ、このまま行けばそうなるかな。だけど現王帝陛下はご健在だし、今すぐってわけじゃない。まだまだオレもこの国や周辺国について学ばなきゃいけないことは数多くあるし」
「ミーナ族長と王子の髪の毛の色が同じなのは『統率者の才覚』があるからですか?」
「――どうかな」
更新日:2011-01-06 14:30:39