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第壱ノ巻 老師からの手紙
其ノ拾玖
ケヤキの巨木達と別れ、マタパやキサラとともに族長ミナのもとへ向かう道の途中で、ノンノは延々と続くマタパのお小言に口をとがらせながら川辺での顛末を話して聞かせた。
――その中で、王子とのことはひと言も口には出さずに、心の中にしまっておいた。秘密にするつもりはなかった。ただ、なんとなく今日のことは心の内にしまっておきたかったのだ。
ケヤキの並木を抜け広場を通り越し、クヌギやナラの木立の向こうに竹林が見えてきた頃、遠くにぽつりと灯りが点っているのが目に入った。
「あたし達三人を一度に呼ぶなんて、珍しいわよねえ?」
「うん。いつもは大抵、伝えておいてね。で、済むのに。なにかあったのかしら?」
ノンノを呼びに来たマタパやキサラも、なぜ自分達が一度に呼ばれたのか理由を知らないようだった。三人は竹林に入り、笹の葉擦れの挨拶を受けながら族長の暮らす庵の門を潜るとそのまま奥まで進み、声を掛けた。
「族長、参りました」
「あら、三人とも一緒に来てくれたのね。どうぞ、入ってちょうだい」
部屋の入り口に扉はなく、ちいさな竹節を繋いで作られた吊り下げ式の暖簾を手で分けると、三人は族長の居室に入った。
部屋の奥に置かれたちいさな燭台の上には灯りが点り、その傍らに置かれた机の前にミナが座っていた。
「悪いわね。こんな遅くに」
「いえ。あの、なにかあったのですか?」
キサラの言葉に族長は微笑むと、とりあえず座って? と、三人に座るよう促した。
「あ、すみません。どうしたのかと思って、つい……」
顔を赤くしたキサラが族長の前に座るとノンノもその傍らに続き、マタパは部屋の隅で茶の支度を始めた。
車座に加わったマタパが盆に載せた椀をそれぞれの前に置くと、族長は衣の袂から一通の手紙を取り出した。
「今日、お城からお手紙が届きました。くださったのは王子様の母君様とお師匠様よ。この間、わたし達がお邪魔させていただいたことを王帝陛下も大変お喜びでいらして、また機会があれば是非楽を披露してくださいって。次の機会には外で自由に踊れるようにご準備いただけるそうよ」
彼等の歌の祝福をその身に受け、驚異的な速さで伸びやかな成長を遂げた末に城の広間を自らの“身体”で一杯に埋め尽くし、それきり広間を使用出来なくしてしまっている無邪気な鉢植えの一件を思い出した一同は、くすくすと笑い合った。
マタパは天楽区に残り、当時登城はしていなかったのだが、登城した者達から既に土産話を色々と聞いていて、その話が出るたびに皆で大笑いをしていた。
もとからマタパが登城できずにとても残念がっていたことはミナも知っていて、今回、族長直近の側仕えを勤める者のひとりとして、キサラやノンノとともにマタパもこの場に呼ばれたのだ。
「それでね、広場いっぱいになってしまったあの子は一旦床を掘り返してお城の外に運ぶことになったそうなの。お師匠様の手紙には、お城ごと引っ越せば楽しかったのにって書いてあるわ」
「そうですか。では、あの子は枯れずに生きていけるんですね」
キサラがホッとしたように笑顔を見せた。自分達の歌や踊りが原因で切り倒されることになってしまうのではないかと、キサラは広間の鉢植えのことを、ずっと案じていたのだ。
「ふふ。こんな工事は初めてで、王子様も頭を抱えていらっしゃるようね」
ミナはノンノに向かってニコリと微笑むと、うっすらと頬を赤くしたノンノに一瞬目を留め、再びキサラとマタパに微笑んだ。
「お城の方からのお礼の言葉は、留守を守ってくれたマタパちゃんにも伝えておきたかったの。それで、みんなに来てもらったのよ。またいつかお城に行ける時が来るのかどうか、それはわからないけれど……でも、わたし達がこうして人間の方々と交流を持つ機会を得られたことは、とても素晴らしいことよね」
「ええ、わたしもお城の方々と少しですけどお話ができて、楽しかったです」
キサラが笑って頷くと、それまで聞き役だったマタパが口を開いた。
「王子様は、どんな御方なんですか?」
「かっこよかったわよ~。マタパちゃんが見たらきっと大変ねー♪」
キサラの笑いを含んだ声に、マタパは傍らでのんきに茶を啜っているノンノをキッと睨み付けた。
「ノンノ、あんたも王子様とお話したの!?」
「はい。ぷぷ。王子サマ、このお茶飲んでビックリしてました」
「キィー! この女っ!! 王子様と一緒にお茶なんか飲んだわけっ!? 族長、次の登城の時は、絶対あたしも連れて行ってください!」
マタパの言葉に一同は笑い、族長の家の周囲の竹林もザワザワと葉擦れの音を立てた。
其ノ拾玖
ケヤキの巨木達と別れ、マタパやキサラとともに族長ミナのもとへ向かう道の途中で、ノンノは延々と続くマタパのお小言に口をとがらせながら川辺での顛末を話して聞かせた。
――その中で、王子とのことはひと言も口には出さずに、心の中にしまっておいた。秘密にするつもりはなかった。ただ、なんとなく今日のことは心の内にしまっておきたかったのだ。
ケヤキの並木を抜け広場を通り越し、クヌギやナラの木立の向こうに竹林が見えてきた頃、遠くにぽつりと灯りが点っているのが目に入った。
「あたし達三人を一度に呼ぶなんて、珍しいわよねえ?」
「うん。いつもは大抵、伝えておいてね。で、済むのに。なにかあったのかしら?」
ノンノを呼びに来たマタパやキサラも、なぜ自分達が一度に呼ばれたのか理由を知らないようだった。三人は竹林に入り、笹の葉擦れの挨拶を受けながら族長の暮らす庵の門を潜るとそのまま奥まで進み、声を掛けた。
「族長、参りました」
「あら、三人とも一緒に来てくれたのね。どうぞ、入ってちょうだい」
部屋の入り口に扉はなく、ちいさな竹節を繋いで作られた吊り下げ式の暖簾を手で分けると、三人は族長の居室に入った。
部屋の奥に置かれたちいさな燭台の上には灯りが点り、その傍らに置かれた机の前にミナが座っていた。
「悪いわね。こんな遅くに」
「いえ。あの、なにかあったのですか?」
キサラの言葉に族長は微笑むと、とりあえず座って? と、三人に座るよう促した。
「あ、すみません。どうしたのかと思って、つい……」
顔を赤くしたキサラが族長の前に座るとノンノもその傍らに続き、マタパは部屋の隅で茶の支度を始めた。
車座に加わったマタパが盆に載せた椀をそれぞれの前に置くと、族長は衣の袂から一通の手紙を取り出した。
「今日、お城からお手紙が届きました。くださったのは王子様の母君様とお師匠様よ。この間、わたし達がお邪魔させていただいたことを王帝陛下も大変お喜びでいらして、また機会があれば是非楽を披露してくださいって。次の機会には外で自由に踊れるようにご準備いただけるそうよ」
彼等の歌の祝福をその身に受け、驚異的な速さで伸びやかな成長を遂げた末に城の広間を自らの“身体”で一杯に埋め尽くし、それきり広間を使用出来なくしてしまっている無邪気な鉢植えの一件を思い出した一同は、くすくすと笑い合った。
マタパは天楽区に残り、当時登城はしていなかったのだが、登城した者達から既に土産話を色々と聞いていて、その話が出るたびに皆で大笑いをしていた。
もとからマタパが登城できずにとても残念がっていたことはミナも知っていて、今回、族長直近の側仕えを勤める者のひとりとして、キサラやノンノとともにマタパもこの場に呼ばれたのだ。
「それでね、広場いっぱいになってしまったあの子は一旦床を掘り返してお城の外に運ぶことになったそうなの。お師匠様の手紙には、お城ごと引っ越せば楽しかったのにって書いてあるわ」
「そうですか。では、あの子は枯れずに生きていけるんですね」
キサラがホッとしたように笑顔を見せた。自分達の歌や踊りが原因で切り倒されることになってしまうのではないかと、キサラは広間の鉢植えのことを、ずっと案じていたのだ。
「ふふ。こんな工事は初めてで、王子様も頭を抱えていらっしゃるようね」
ミナはノンノに向かってニコリと微笑むと、うっすらと頬を赤くしたノンノに一瞬目を留め、再びキサラとマタパに微笑んだ。
「お城の方からのお礼の言葉は、留守を守ってくれたマタパちゃんにも伝えておきたかったの。それで、みんなに来てもらったのよ。またいつかお城に行ける時が来るのかどうか、それはわからないけれど……でも、わたし達がこうして人間の方々と交流を持つ機会を得られたことは、とても素晴らしいことよね」
「ええ、わたしもお城の方々と少しですけどお話ができて、楽しかったです」
キサラが笑って頷くと、それまで聞き役だったマタパが口を開いた。
「王子様は、どんな御方なんですか?」
「かっこよかったわよ~。マタパちゃんが見たらきっと大変ねー♪」
キサラの笑いを含んだ声に、マタパは傍らでのんきに茶を啜っているノンノをキッと睨み付けた。
「ノンノ、あんたも王子様とお話したの!?」
「はい。ぷぷ。王子サマ、このお茶飲んでビックリしてました」
「キィー! この女っ!! 王子様と一緒にお茶なんか飲んだわけっ!? 族長、次の登城の時は、絶対あたしも連れて行ってください!」
マタパの言葉に一同は笑い、族長の家の周囲の竹林もザワザワと葉擦れの音を立てた。
更新日:2011-01-06 14:29:19