官能小説

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第壱ノ巻 はじまりの川



其ノ壱


 ……ふぅ。

「すみません、ちょっと出てきます」

 長椅子に寝そべっている師匠に声をかけ、筆を置くと静かに椅子から腰をあげた。
 年老いた師匠は少しの間をおいて、うん? と、首をもたげ、部屋を後にする弟子の背中を見送ると、ふたたびゴロリと仰向けに寝ころんだ。

『美娼姫伝説乱レ咲キ特選書簡集 其ノ伍』

 ごくわずかな布を纏う裸体の娼姫たちが、互いに身をくねらせ喘ぐ姿を写し取った極彩色の絵画を、のんびりとめくりながら眺めているその灰色の瞳には、うっすらと面白がるような笑みが浮かんでいた。

「ふ~ん。このところ毎日デスねえ? いったいどこへ行くのやら」

 城の裏手からひっそりと抜け出してしばらく歩くと、やがて視界が開け、ススキや葦の群れが、さやさやと葉擦れの音をたてる川に出た。
 この時期の川岸は葉も青々としていて、碧雪(マタ)の季の枯れ果てた、ものさびしげな様子はどこにも感じられない。

 川幅はそれほど広くもなければ、流れも緩やかで氾濫することもなく、それでも『天楽区』との境界に位置するこの川のほとりは、行き交う商売人以外には普段からひとが立ち寄ることすら稀で、彼がまだ幼かった頃に偶然見つけたその道は、彼を取り巻く環境が大きく変わった後も変わらずに、彼の訪れを待ち、ただ静かに川の懐へと彼を招き入れてくれていた。

 ――常に自分の肩に重くのしかかっている、見えない重責。
 時々、自分が何者なのか、わからなくなってくる。

 身の内に深く押し込めた本来の自分に戻り、それを忘れないためにも、時々城を抜け出しては都の外れに近いこの川までただ無心に歩きつづける。
 ひっそりと眠る小道をたどり、誰の気配もない川のせせらぎの音(ね)に身を委ねながら心をほどく密かな息抜きは、今の立場にある彼にとって欠かせないものとなっていた。

 川辺の土手から葦原へと踏みこめば、時としてちいさな鳥たちがさえずり、砂浴びに興じる場面に出くわす。砂にまみれて遊び、やがて自らの翼で高い空へと飛び立って遠くなる、自分よりも遥かにちいさな、けれど逞しい姿。

 ……期待されるのは嫌いじゃない。周りの思惑だけじゃなくオレ自身の意志として、いずれこの国を背負って立つ心構えを学び続けて来たんだ。そのために棄てたものだってある。なのに……どうして――?

「こんなに足繁く通ったって……行くことも、触れることすら叶わないのに。いつまでも……なにやってんだろうな、オレは……」

 ぽつりと呟かれた言葉は川のせせらぎに優しく抱かれ、流れていった。

 子どもの頃から見つめ続けてきた、時の止まった対岸の遠い風景。
 心身の成長を重ね、瞳に映る世界が高く広くなるほどに、より深い憧憬として強く心に刻まれていく、まるで自分を呼び招いているような川向こうの遙かな場所と、遠かったはずの存在を思う。

 ――今日も、来てるんだろうか。

 川の縁を覆う芝生がちらほらと見えだした頃、ちいさな歌声が聴こえはじめた。
 まるで誰かに歌いかけているような楽しげな声に自然と口の端が緩んでいることに気づいた彼は、慌てて表情を引き締め、わざと下草の音をたてて歌声のする方へと近づいて行った。
 やがて葦原が切れ、視界が広くひらけた先に、満々と豊かな水をたたえた川面が一気に見渡せる場所に出た。

 芝生の上でこちらに背を向けて座り込んでいる、ひとつの背中。
 淡い色合いの衣を纏ったその背中は少し身体を揺らしながら、ちいさな声で歌いつづけている。
 対岸を覆う深い森の奥からは、まるで呼応するかのように繰り返される微かな歌が風に乗って流れて来ていた。

 時折、節を変えては流れつづける軽やかな歌声を耳にしながら、黙ってその傍らに腰を下ろすと、ふいに歌声はやみ、首をかしげた顔がニコリと彼の顔を覗き込んだ。

「今日は早いんですねー? 王子サマ?」

「……別に」

 そう答えると、水辺の茂みに留められている筏を眺め口を開いた。

「おまえ、またあれで来たの?」

「そうですよー。橋まで歩くより、このほうが早いんです」

「だからって、自分で筏作ってまで川を渡って来るか? 普通」

「みんな喜んで使ってくれるし、とっても便利なんですよ? 竿があればすぐに渡れて、草で隠すのにも便利だから手放せません」

 この川には道があって、そこを通ると早いんです。上手に水の流れに乗れれば、一度漕ぐだけで向こう岸まで渡れますから、楽しいですよー。

更新日:2011-01-06 14:25:57

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