• 14 / 20 ページ
絵里子は一人になると何をしようかと考えた。
家事は、未亜が気をつけて母に何もさせないようにしてあった。
朝食の皿も洗ってあったし、掃除機も掛けて、家の中は塵一つなかった。

ピアノの蓋を開けて腰を降ろすと、ショパンのエチュードを二、三節弾いた、が、気が乗らずにパタンと蓋をしめた。

雑誌を開いてみた。
美しいファッションのページの中に、留袖の特集があった。
絵里子が持っている留袖の模様は朱が主で、自分には派手すぎるから、この次に着る時には新しいのを一郎に買ってもらおうと思っていた。
だが、悟志や未亜の結婚の時には、もしかしたら自分は居ないかも知れない。
そう思うと鮮やかな絵模様も色褪せてしまった。
雑誌を下に置くと、これから私は一体どうやって生きて行こうかと思った。
絵里子には確かな未来が無いのだった。

机に向かってノートを開いた。
“そうだ日記をつけよう”
絵里子は日記など高校生の時以来つけたことはなかった。
だが、毎日、何かを書き留めてゆくことで、自分の今居る位置を掴む手がかりになるかも知れない。
自分の心と語り合うことができるだろう。

未亜が帰ってきたらしく、台所からごとごとと音が聞えてきて、美味しい匂いがしてきた。
手早く、たくさんの具の入った焼きうどんを作ってテーブルに乗せた。
「私、アメリカで結構お料理したのよ。
なんと言っても日本の味が懐かしいから、スパゲッティーをうどんの代わりにしたの」
と楽しそうに笑った。

「お母さん、食べられる?」
「ええ、たくさんは食べられないけれど、美味しいと感じられるようになったのよ」
「プルーンやアーモンドはとても体にいいんですって。気が向いた時に食べてね」
どこで聞いてきたのか癌に効くと言われている食べ物を器に入れてテーブルの上に置いた。

「お兄さんが夏休みの間にみんなで旅行に行きたいと思わないお母さん?」
「そうね、暫く旅行などしていないものね」
“それに家族全員の最期の旅行になるかも知れないし”
絵里子はそんなふうに考える自分をさせるままにしていた。
そう考える方が自然だと思えたからだ。

そこへ悟志が帰って来た。
この頃は、授業が終わって特に用の無い時は、早く帰って来るようになっていた。
旅行の話は兄妹の間で花が咲いた。

「今夜父さんが帰ってきたら早速相談しよう」
悟志はお鍋に残っていた焼きうどんをさらいながら言った。
まるで、ごく普通の仲の良い家族のようだと恵理子は思った。

恵理子は今まで、自分がこんなに家族から思われているとは思っていなかった。
一体自分はそんなに価値の有る人間だろうか?
皆から優しくされるほど、皆に優しかっただろうか?
一人一人が、孤立した、淋しい家族関係だったのが、今、絵里子を中心に皆の気持ちが集まっているのだ。

病気になる前にこう出来なかったものだろうかと絵里子は考えながら、
未亜の入れてくれたハーヴティーを啜った。

更新日:2010-03-08 09:57:11

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook