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体裁

私が初めて抱いた夢は「詩人になること」でした。
そしてその次に抱いた夢が「美容師になること」。

私は14年ほど、美容師をしておりました。
仕事が私の人生そのものでした。
中卒で美容学校へ行き、16歳から社会へ出て働き、高校へ進学し遊び呆ける友人を尻目に、がむしゃらに働きました。
美容師になった私が次に抱いた夢は「歴史に残るヘアメークアーティストになること」だったからです。
17歳で美容師免許を取り、町の美容室で務めた後、婚礼を手掛ける美容室で着付けやメークを勉強し、パリコレのヘアメークや雑誌の仕事に携わるチャンスがある美容室の面接を受けました。300人ほど受けた中で8人が採用されました。
その中の一人が私でした。

朝は7時から後輩のレッスンを見て、飲み物さえ口にする間もないほど休みなく働き、終電まで自分のレッスンをし、帰ってから美容雑誌を見たり過去のヘアショーの録画ビデオを見たりする日々。半年ほど、休みが一日もない、という期間もありました。
38度の熱があってもフロアに立ち続け、20人の髪を一日で切り、気が狂う一歩手前だったように思います。


ある日、日本のヘアメークならだれでも知っている、という有名な方とお会いできる機会がありました。
その人に気に入ってもらえたら、すぐに名が売れ東京でも仕事が出来るようになるという伝説の人でした。
私はその方に、その日お会いできるなんてまさか、思ってもいませんでした。
私の上司の計らいで、少しお話させて頂くことが出来、私の思いを伝えました。
すると、私がヘアメークを手掛けた作品を見たい、とおっしゃってくださいました。
舞い上がってしまった私は、その時たまたま持っていた、数日前に私が手掛けた、ホテルで行われたファッションショーのモデルのスナップ写真をカバンからあわてて出しました。
カメラ屋さんで現像した時にもらった、紙の安っぽいフォトアルバム。
その中に収まった、前から、後ろから、全体や顔のアップを撮った、私がメークとヘアーを施したモデルの写真。

その方は、時間をかけて写真を見て、アルバムをパタリと閉じ、ゆっくりと、「なんにも感じない」とだけ言いました。
その後のことはあまり覚えていません。
ただ、その方がその場を去った後、上司にひどく怒られました。
「なんでこんな写真見せるんや!なんでお前…あほやのう」
見ると、フォトアルバムの最後の方には、残ったフイルムで撮った、友人と海へ行った時の写真や、甥っ子の笑顔が収まっていました。
写真を見てもらえる!と舞い上がっていた私は、他の写真が混じっていることを忘れていたのです。
「お前、これだけは絶対覚えとけよ、人に物を見せる時は、体裁を整えろ。こんな安っぽい入れ物に、くだらん写真とごっちゃに入れよって、こんなもん、お前の作品が台無しやないか、お前の良さが台無しやないか」
そう言って、上司は泣きそうになっていました。
子供も二人いる、たくさんの部下を持つ、その上司が、自分のことのように悔しがってくれました。

私は、軽々しく体裁の整っていない物を見せてしまったこと、
自分の作品から「なんにも感じない」と言われたこと、
大きなチャンスを失ってしまったこと、
今までの苦労、
泣きそうな上司、
くだらないと言われた可愛い甥っ子の写真に収まった笑顔、
私の夢を応援してくれていた友人と行った海、
すべてがごちゃまぜになり、上司と別れたあと、道端で泣きじゃくり、終電に間に合わず、泣きながらタクシーを探し、ずっと張りっぱなしだった糸がぷっつりと切れ、2日程仕事を休んでしまいました。

更新日:2010-03-10 17:10:01

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