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19.上総介

 生駒屋敷に帰った吉乃は夫の事を心配する事もなく、久し振りに会った妹、萩乃と菊乃と楽しそうに話し込んでいた。実家に帰れた事が余程、嬉しかったようだった。
 ところが、次の日の昼近く、土田(どた)甚助が森甚之丞と一緒に戻って来ると急に沈み込み、屋敷に籠もったまま出ては来なかった。夫の土田弥平次が戦死してしまったのだった。
 甚助と甚之丞は女たちを逃がした後、すぐに明智氏の長山(おさやま)城に向かったが、すでに遅く、敵の総攻撃に遭って城は燃えていた。弥平次と勘解由(かげゆ)の安否もわからず、敵兵に囲まれた城に近づく事はできなかった。そうこうしているうちに城は焼け落ち、二人が諦めて引き返そうとした時、長山城から逃げて来た弥平次の家臣、又七郎と出会った。傷だらけの又七郎は甚助の顔を見て、ほっとして弥平次の最期を語った。
 死を覚悟した弥平次は城主、明智兵庫頭(ひょうごのかみ)に従い、敵の大軍に突っ込んで行き壮絶な討ち死にをした。又七郎も弥平次と共に死ぬ覚悟でいたが、弥平次から吉乃を無事に逃がすように頼まれて逃げて来たという。甚之丞の兄、勘解由の事を聞くと、本来なら吉乃を逃がすのは勘解由の任務だったが、勘解由はそれ以前に戦死してしまい、自分が選ばれたのだと言った。
 甚助と甚之丞は弥平次と勘解由の戦死を知り、気落ちしながらも又七郎と共に敵兵の中をかいくぐって、やっとの思いで生駒屋敷まで逃げて来た。なお、長山城には明智十兵衛光秀もいて、叔父の兵庫頭の命令で脱出し、越前方面に向かっていた。後に藤吉郎と共に上総介の武将として働く事になるのだが、この頃はまだ、お互いに相手の存在すら知らなかった。
 長山城と共に土田城も落城し、甚助の父、七郎左衛門も戦死した。吉乃と一緒に生駒屋敷に来ていた五十人の女子供は帰るべき家を失い、身内を頼って、それぞれ帰って行ったが、半数近くは行く所もなく残っていた。八右衛門が本人の希望を入れて、ここにいたい者には仕事を与え、他所に行きたい者にはできるだけ世話をしてやっていた。
 土田甚助は浪人となってしまった。それでも、いつの日か、土田家を再興する事を夢見て、妻と二人の子供と一緒に生駒屋敷の長屋に残った。
 吉乃が帰って来て以来、藤吉郎は蜂須賀屋敷を出て、生駒屋敷に移っていた。萩乃に頼んで、以前のように三姉妹の家来にして貰った。
「よかったわね、大好きなお姉さんが帰って来て。猿のおかみさんも死んじゃったし、お姉さんの旦那さんも死んじゃった。丁度いいかもね」と萩乃は笑った。皮肉ではなく、本気でそう思っているらしかった。
「父上も亡くなっちゃったし、兄上の機嫌さえ取ればうまく行くわよ。お姉さんを無事に連れて来た事で、兄上も大分、猿の事、見直したみたいだから、もうちょっとよ。でも、焦らない方がいいわ。喪(も)が明けるまではね」
 萩乃はすでに十八歳になっていた。嫁入り話はいくらもあるのに、本人はその気にならないようだった。父親が生きていた頃はうるさいように縁談話があったが、今年の春、父親が病死してしまうと、兄の八右衛門もうるさく言わなくなった。また、吉乃が後家になってしまったため、強く言えなくなっていた。
 八右衛門に屋敷内にいる事の許可を得ると、「お前がいてくれれば、吉乃もいくらか気が和(なご)むじゃろう」と喜んで許してくれた。
 萩乃が言った通り、吉乃を助けてくれた事には感謝しているようでも、藤吉郎を一人前の侍とは見ていないようだった。何とかして、八右衛門に認められ、吉乃を嫁に迎えなければと決心を新たにした。
 父親が病死して、八右衛門は生駒家の当主になっていたが、本曲輪の屋敷には移らなかった。八右衛門の家族が本曲輪に移ると母と妹たちは二の曲輪に移らなければならなくなる。嫁入り前の妹を浪人者たちが出入りする二の曲輪に移すわけには行かないと、相変わらず、二の曲輪の屋敷に住んでいた。お陰で、吉乃は嫁に行く前に暮らしていた懐かしい部屋に戻る事ができた。吉乃はその部屋に籠もったまま、外に出ては来なかった。

更新日:2009-12-30 18:59:11

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