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3.蛤

 津島は大勢の人で賑わっていた。
 牛頭(ごず)天王社の門前町として栄え、さらに、木曽川の支流、及(および)川と墨俣(すのまた)川が落ち合う川港として、大小様々な船が行き交っていた。熱田に向かう船や伊勢の桑名へ向かう船、川を上って美濃方面に向かう船も出るため、旅人も多く、大通りに面して立つ旅籠屋(はたごや)や木賃宿(きちんやど)から客引きが大声で客を呼んでいた。
 牛頭天王社の門前の市には新鮮な海産物が並び、藤吉は目を丸くして、見た事もない魚や貝を眺めて回った。門前町から少し離れると大きな蔵が建ち並ぶ商人たちの町になる。商人たちの屋敷は皆、大きくて立派で、威勢のいい人足たちが荷車に山のような荷物を積んで大通りを行き交っていた。
 母の妹、おてるが嫁いだ加藤喜左衛門の屋敷は大河へとつながる川に面して建っていた。船が直接、屋敷に横付けになって荷物の積み降ろしをしている。
 藤吉は津島の町を見て、初めて、川というものが道のように自由に行き来できるという事を知った。津島の町では船がなければ生活できないと思われる程、牛や馬に代わって活躍している。船で暮らしている者までいるのには驚いた。そして、京都に行くには桑名まで船に乗らなければならない事を知り、喜左衛門の所に奉公して、銭を溜めて、そのまま京都に行こうと決心した。
 喜左衛門は伊勢の塩を商っている商人だった。伊勢から来た塩は荷揚げされ、尾張国内の各地へと運ばれて行った。
 祖父と祖母は三日間、のんびりと孫たちと遊んで帰って行った。藤吉も従弟(いとこ)たちと一緒に遊び、二人が帰ってから叔父のもとで働き始めた。
 商人というから塩を売り歩くのかと思っていたら、叔父の所では行商はしていなかった。各地にある店に塩を運ぶだけで小売りはやっていない。藤吉は毎日、重い塩を船から降ろしては荷車に積むという肉体労働ばかりやらされた。お陰で、足腰は強くなり、腕も太くなったが、背丈はちっとも伸びなかった。人足たちから名前を呼ばれる事もなく、『猿、猿』と呼ばれ、自分の姿がそんなにも猿に似ているのかとがっかりした。さらに、年下の従弟たちまで『猿』と呼び、馬鹿にしたように見るのは辛かった。主人の子供なんだからと自分に言い聞かせて、じっと我慢していたが、とうとう堪忍(かんにん)袋の緒が切れて、従弟を殴って屋敷を飛び出してしまった。
 藤吉は一人、港にしゃがんで桑名に向かう船を眺めていた。これからどうしたらいいのかわからなかった。桑名に行く船に乗る銭はなかった。それ以前に、今夜の宿もない。野宿をするには寒すぎた。
 叔父に謝って帰ろうか。叔父に謝るのはいいけど、従弟たちには謝りたくなかった。
 どうしよう。このまま、中村に帰ろうか。いや、駄目だ。帰れない。
 川向こうの空が夕日に染まっていた。カモメが鳴きながら飛び回っている。
 納屋(なや)(倉庫)の側で七、八人の人足たちが喧嘩をしていた。一人が怒鳴りながら丸太を振り回している。刀を抜いている者もいたが丸太の方が強かった。丸太の男は相手を倒すと丸太を投げ捨て、仲間と共に引き上げて行った。倒れている人足を眺めながら、しょんぼりと丸くなっていると、「おっ、猿じゃねえか」と声を掛けた者があった。
 叔父の所の手代の新助だった。
「おめえ、こんなとこで何してんだ」
 藤吉は新助に訳を話した。新助は親身になって聞いてくれた。
「そうか、猿と言われて腹を立てたんか。まあ、そうだろうの。だがな、猿というのも愛嬌があっていいもんだぞ。みんながおめえの事を猿と呼ぶんは、憎くて呼んでるわけじゃねえ。親しみを込めて呼んでるんだ」
「みんなが呼ぶのはいいけど、従弟たちは俺を馬鹿にしてるんだもん」
「うむ。御主人様の子供だからな、仕方ねえんだ。所詮、わしらは使用人だからの」
 目の前の桟橋に小船が着き、人相の悪い男たちに囲まれて、藤吉と同じ位の年頃の娘たちが大勢、船から降りて来た。娘たちは皆、継ぎだらけの着物を着て俯き、中には泣いている娘もいる。武装した男たちに囲まれて、娘たちは藤吉の横を通って行った。

更新日:2011-05-14 13:49:42

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