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 藤吉郎と同じように今川家に仕官するために駿府に来たという五助は、偉そうに三尺余りもある太刀を腰に差して得意になっていても、顔付きはまだ子供だった。藤吉郎より十日近く遅れてやって来て、藤吉郎の顔を見ると馴れ馴れしく寄って来た。
「おめえ、どっかで会ったような面だな」と五助は言った。
 藤吉郎は五助を見上げた。やけに背の高い男だと思っただけで見覚えはなかった。
「知らねえな」と藤吉郎は答えた。
「そうか‥‥‥すまねえ」と五助は引き下がって行った。また、すぐにやって来て、自分の名を名乗り、話しかけて来た。話していくうちに同じ目的を持っている事と同い年だという事がわかり、次の日から一緒に仕官口を捜し回った。ところが、五助は飽きっぽく、三日目にはやめてしまい、「焦ったってしょうがねえや。気楽に待てば仕官口は向こうからやって来らあ」と、毎日、ゴロゴロしていた。
 その四人が藤吉郎と一緒に、いつまでも、その木賃宿に滞在している仲間だった。
 木賃宿の近くには遊女屋や飲み屋がいくつも立ち並ぶ盛り場があり、夜になると賑やかな音楽が聞こえ、酔っ払いたちが騒いでいた。そこは琵琶法師の仕事場だったが、他の三人には縁のない所だった。時々、藤吉郎は盛り場に針を売りに行って、遊女たちと世間話をしていた。遊女の中には、藤吉郎の好みの女もいたが、客になる程の銭はなかった。五助と二人で、伝吉の枕絵を借りて、自らを慰めていた。
 毎日、毎日、針を売り歩いているので、駿府の城下は隅から隅までわかった。けれども、今川家に仕えるための手づるは見つからない。武家長屋に行って、小者(こもの)でもいいから仕官口はないかと聞いても、よそ者は駄目じゃと相手にされず、父親の名を出しても、知っている者など一人もいなかった。
 色あせた紅葉(もみじ)模様の派手な綿入れを着込んだ藤吉郎は阿部川(安倍川)の河原に座り込んで、これからどうしようか、と考えていた。
 直接、今川家に仕えようと思うから難しいのかもしれない。まずは今川家の家臣に仕える事から始めなければならないのだろうか。
 藤吉郎は横になって目を閉じた。瞼(まぶた)に浮かぶのは吉乃の姿だった。最後の日、水浴びをした後、「待っている」と言った時の吉乃の笑顔だった。
 吉乃は今、十四歳。いくら待っていると言っても、姉のように十八になっても嫁に行かないという事は考えられない。父親はあれ程の大尽、貰い手はいくらでもいる。しかも、あれだけの美女を男どもが放っておくわけがない。嫁入り話が決まる前に、立派な侍に出世して帰らなければならない。二年が勝負だと藤吉郎は見ていた。二年以内に何とかしないと吉乃は他の男のもとに嫁いでしまう。
「よし、遠江の掛川に行ってみよう」と藤吉郎は決心した。
 掛川には今川家の重臣、朝比奈氏がいた。まず、朝比奈氏の小者から始めて、今川家の重臣になってやろうと考えた。藤吉郎がニヤニヤしながら吉乃を迎えに行く時の夢を見ていると、誰かの叫び声で現実に戻された。
「おーい、藤吉郎」と誰かが呼んでいる。
 起き上がり、後ろを振り返ると五助が走って来る所だった。長い陣羽織の裾をひるがえしながら手を振っている。
「やっぱり、ここにいたか」と五助は長い太刀を腰からはずすと藤吉郎の隣に座り込んだ。「おめえは河原が好きだな」
「水の音を聞くと落ち着くんだ」
「へえ、おめえは川の側で育ったんか」
「いや、そうじゃねえが‥‥‥何か用か」
「ああ、銭が入ったんだ」と五助はニヤッと笑った。「今晩こそ、遊女屋に繰り出そうと思ってな」
「何をしたんだ」と藤吉郎は聞いた。
「ちょっとな」と五助はとぼけた。
「また、盗っ人の真似をしたんだな」
「取られる方が悪いんだよ。今の世の中は取った者の勝ちよ」
「おめえ、侍になるって故郷(くに)を出て来たんじゃねえのか」
「そうさ。でもな、侍どもは戦をして国の取りっこをしてる。俺がわずかばかりの銭を取ったからって罪にはなるまいに。それに、侍になる前に飢え死になんかしたら元も子もねえだろ。な、天からの恵みだと思って、今晩は遊ぼうぜ。そして、明日はお別れだ。俺はここを出る」
「明日、ここを出る?」藤吉郎は五助の顔を見つめた。
 五助はうなづいた。「ここにいたって侍奉公なんかできっこねえ。俺は小田原に行く」
「小田原?」
「箱根の向こうの関東さ。小田原は北条氏の都でな、ここ以上に栄えてるそうだ」
「へえ、関東か‥‥‥」
「おめえも一緒に行くか」
「いや、俺は掛川に行く」
「掛川? 朝比奈備中守(びっちゅうのかみ)の家来になるんか」
「できればな」
「つてはあるのか」
「ない」
「つてもねえのに行ったって、しょうがねえ。俺と一緒に関東に行こうぜ」

更新日:2011-05-14 16:24:01

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