• 38 / 92 ページ

10.駿府

 暑い夏が終わったかと思うと、秋を通り越して、急に寒い冬がやって来た。人間だけでなく天候までもが狂っていた。
 藤吉郎が駿河の国の府中、駿府(すんぷ)(静岡市)に来て二ケ月が過ぎていた。
 京の都を知らない藤吉郎だったが、華やかな駿府の都は、まるで京都のようだと思った。城下の町も清須や岩倉とは比べものにならない位に規模が大きく、大通りにはいくつもの大きな蔵を持った商人の屋敷が誇らしげに並んでいる。尾張では滅多にお目にかかれないお公家さんや、偉そうなお坊さんが大勢の供を引き連れて大通りを歩いているのは珍しかった。戦に出掛ける鎧武者は向かう所敵なしと言える程、勇ましく、きらびやかな着物を着た女たちは、まるで天女のように美しい。この世の極楽ではないかと思う程、人々は皆、幸せそうで穏やかだった。
 駿府屋形と呼ばれている今川氏の城も大きく、幅広い堀と土塁に囲まれている。土塁が高いため、中がどうなっているのか見えないが、華麗な楼閣のような高い建物がいくつか見え、時にはその中にいる人影を見る事もある。まるで天上界の人を見るような気持ちで藤吉郎は楼閣を見上げた。
 駿府に二ケ月間いて、今川家が東海一の大名だという事はいやという程、藤吉郎にはわかっていた。清須の殿様や岩倉の殿様なんか、今川家と比べたら、ほんの小さな存在だった。今川家の重臣たちの方が、あの二人の殿様よりも、ずっと立派な城に住んでいて、もっと大勢の家来を持っていた。今川家こそ自分が仕えるべき所だと心に決めていたが、今川家の侍になるのは思っていた程、簡単な事ではなかった。
 藤吉郎は駿府屋形の北西にある浅間明神の門前町の外れにある木賃宿に泊まり、針を売りながら細々と暮らしていた。場末の木賃宿にいて藤吉郎は様々な人たちを見て来た。岩倉の木賃宿ほどひどくはなかったが、同じような人々が出入りしていた。仕事を捜しに田舎から出て来た者も多かった。しかし、仕事を見つけるのは容易な事ではなかった。毎日、朝から晩まで仕事捜しに出掛けるが見つからず、銭がなくなって追い出される者もいた。可哀想だとは思うが、その日暮らしの藤吉郎にはどうする事もできなかった。
 藤吉郎と同じように夢を抱いて、駿府にやって来た者も何人かいた。
 有名な絵師になるため、遠江(とおとうみ)の山の中から出て来た伝吉という男は毎日、いかがわしい枕絵(まくらえ)を描いては売り歩いていた。枕絵というものを初めて見た藤吉郎は、「すげえ」と言いながら、おおらかに抱き合っている男女の姿に釘付けになった。
「こういう絵は実際に見ながら描くの」と藤吉郎が聞くと、伝吉は首を振った。
「有名な絵画きになれば、一流の遊女の裸を見ながら描くが、わしのような売れない絵画きは頭の中で想像しながら描くんじゃ」
「へえ、凄いね」
「いや、何種類かの決まった形があるんじゃよ。描きたいように描いたからって、売れるもんじゃねえ。売れる絵というのは決まってるんだ。毎日、毎日、同じ絵を描くのは飽きたわい。早く、自分の絵を描きてえよ」
 駿府では有名な武将や遊女たちの似絵(にせえ)が流行っていた。伝吉もそんな絵を描くために駿府に出て来たが、無名な絵画きが無名な人を描いても売れるはずがなく、かと言って、有名な人を描きたくても相手にされない。似絵を描くには本人を目の前にしなければ描けなかった。藤吉郎は伝吉が描いた似絵を見せてもらったが、うまいものだと感心した。城下で売られている似絵と大して変わらないと思うが、名前が売れていないと駄目だという。絵師になるのも容易な事ではないと感じた。
 いつか、てっけえ蔵を建てるんだと口癖のように言っている紙売りの半次は毎晩、銭を数えてはニヤニヤしていた。酒も飲まず、女もやらず、ろくな飯も食わずに、ただ、銭を溜める事だけに熱中していた。重い銭を肌身話さず持ち歩き、回りの者たちを泥棒のような目で見ては警戒していた。銭が心配なら、もう少し増しな宿屋に泊まればいいものを宿代が勿体ないからと場末の安宿に泊まっていた。
 盲目の琵琶法師は毎晩、杖を突いて花街に出掛けて行き、平家物語を語っていた。目が見えないのに難しい物語を覚え、夜道を平気で歩いている。どうして、そんな事ができるのかと聞いても、笑って答えてくれないが、目明きの者が想像する以上に辛い目にも会い、厳しい生き方をして来たのに違いなかった。世の中には凄い人がいるものだと感心し、琵琶法師の曲を聞く度に、もっと強く生きなければと思った。

更新日:2011-05-14 16:20:01

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook