• 34 / 92 ページ
 侍女に連れられて三姉妹が屋敷に帰った後も、藤吉郎は汗びっしょりになって踊り狂っていた。踊りに熱中し、何もかも忘れたかった。吉乃の事を忘れたかった。もう、これ以上、自分を押さえる事ができそうもなかった。いつか、衝動にかられて、いやがる吉乃を抱き締めてしまうに違いない。吉乃が自分なんか相手にしないのはわかっているが、吉乃を思う気持ちは大きくなるばかりだった。藤吉郎は夢中になって踊り狂った。
「おーい、猿!」と誰かが大声で呼んでいた。
 藤吉郎は踊りをやめて、声のする方を見た。いつもより増して、かぶいた姿の蜂須賀小六が仲間たちと一緒に藤吉郎を呼んでいた。
 藤吉郎は小六の側まで行った。
「おめえ、どこにいたんだ」とマサカリをかついだ三輪弥助が聞いた。
「あれから、ずっと、ここにいました」
「何だ、そうだったんか。急に消えたんで、那古野にでも行ったんかと思ったぞ」
「那古野?」
「ああ。うつけ殿を討つためにな」
「もう、仇討ちはやめました」
「やめたのか」と小六が聞いた。
 藤吉郎はうなづいた。
「鉄砲を習うのもやめたのか」
「鉄砲は習いたいけど‥‥‥今の俺は何をやったらいいのかわかんないんだ」
「おめえが消えて、女どもが困ってたぞ。働き者がいなくなったってな」
「そうですか‥‥‥」
「あたしたちも困ってたのよ」とおすわが言った。おすわは相変わらず男の格好をしていたが、青山新七郎に寄り添い、何となく、女っぽくなったように思えた。
「可哀想に、おしまの奴は泣いてたぞ」と弥助が言った。
「おしまが‥‥‥」
「猿はおしまといい仲だったんだってねえ、知らなかったわ」とおすわが言った。
「この色男が、女子(おなご)を泣かすんじゃねえ」と弥助は藤吉郎を小突いた。どうやら、弥助はおすわに振られたようだった。
「心配するな。おしまの奴はおめえを見捨てて、他に男ができたわ」
「他の男?」
「ああ、門番の彦八じゃ。奴はおしまと一緒になるつもりでおる」
「そうですか‥‥‥」
「猿、この前、おめえの親父の事を知ってる男に会ったぞ」と前野小太郎が言った。
「えっ、ほんとですか」
「ああ。岩崎城の丹羽(にわ)若狭守(わかさのかみ)という男がおめえの親父を斬った男じゃった」
「丹羽若狭守?」
「うむ。若狭守が言うには、おめえの親父はな、敵ながらも、あっぱれな弓取りだったとの事じゃ。わしは知らなかったが、当時、那古野の城には今川氏がいたそうじゃのう。木下弥右衛門は今川氏を城から逃がすために、必死に弓を射続け、敵を近づけなかったそうじゃ。矢が尽きると太刀を振り上げ、大軍の中に突撃して来た。弥右衛門の勢いを恐れて、皆が尻込みしている所を若狭守が立ち向かい、死闘の末、弥右衛門の首を挙げたそうじゃ。その時の活躍によって若狭守は岩崎城の城主になったらしい」
「ほう、おめえの親父も大した男じゃねえか」と小六が感心した。「そういえば、那古野に今川氏がいたというのは聞いた事がある。その今川氏というのは駿河(静岡県東部)の今川と関係あるのか」
「うむ。治部大輔(じぶだゆう)(義元)の弟らしいな」
「まだ、生きているのか」
「いや。備後守に殺されたらしい」
「じゃろうな」
「あの」と藤吉郎が言葉を挟んだ。「今川殿が駿河にもいるんですか」
「おめえも世間知らずじゃのう。今川氏というのは駿河、遠江(とおとうみ)(静岡県西部)、今では三河(愛知県東部)までも支配下においている東海一の大名じゃ。那古野にいた今川氏はその分家にすぎん」
「駿河、遠江、三河?」と言いながら、藤吉郎はキョトンとしていた。
 小六はしゃがむと土の上に簡単な絵地図を描き、それぞれの場所を示した。尾張の国の東隣に三河の国があり、さらにその東に遠江、駿河があった。
「今川氏は東海一の大名なんですね」と藤吉郎は聞き返した。
 小六は大きくうなづき、「駿河に行くか」と聞いて来た。
 藤吉郎は力強くうなづいた。
「親父に負けんなよ」と弥助が言った。
 藤吉郎は弥助にうなづき、「やるぞ」と大声でわめくと、また、狂ったように踊り始めた。

更新日:2011-05-14 16:02:34

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook