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8.三姉妹

 藤吉郎は河原に座り込み、ぼうっと川の流れを眺めていた。
「木下家の生き残りは、お前だけじゃ。きっと、木下家を再興するんじゃぞ」
 筑阿弥の声が聞こえたような気がした。でも、どうやったら木下家を再興する事ができるのか、藤吉郎にはわからなかった。
 小六の所は楽しかった。小六の屋敷に出入りしている野武士たちは癖のある男たちばかりだったが、義理堅く、人情に厚い男たちだった。そのまま野武士の仲間に入ってしまう事もできたが、ちゃんとした武士にならなければ、木下家を再興した事にはならない。
 岩倉の浅野又右衛門の所に行って、岩倉のお殿様に仕えようか。でも、又右衛門の養子になったら、浅野家を継ぐ事になって、木下を名乗る事はできなくなる。
 一体、どうしたらいいんだ‥‥‥
 藤吉郎は河原に寝そべった。空が眩しいくらいに青かった。顔に桜の花びらが落ちて来た。見上げるとすぐ側に桜が満開に咲いている。もう、こんな季節になったのか‥‥‥
 桜の花を見上げ、故郷の事を思い出しながら、いつの間にか眠ってしまった。
 キャーキャー騒ぐ女の声で目を覚まし、川の方を見ると三人の娘が水遊びをしていた。着物の裾をまくって川の中ではしゃいでいる。侍の娘たちか、贅沢な着物を着ていて、顔付きもどことなく上品だった。
 一瞬、夢でも見ているのだろうかと思う程、その娘たちは美しかった。二人の娘は藤吉郎と同じ位で、後の一人は十歳位の三姉妹のようだ。藤吉郎はぼうっとして姉妹に見とれていた。
「そっちの方に行くと危ないですよ」と女の声がした。
 声の方を向くと二人の女が三姉妹を見守っていた。さらに後ろには侍が二人、弓と槍を手にして立っている。侍の一人は見覚えがあった。生駒屋敷の浪人長屋で飯の支度をしていた兵法(ひょうほう)指南役の富樫惣兵衛だった。どうして、惣兵衛がこんな所にいるのだろうと不思議に思いながら、藤吉郎は惣兵衛の方に近づいて行った。
「おい、小僧、そんな所で何をしておる」と弓を持った侍が怒鳴った。
「おじさん、針はいらないかい」と藤吉郎は聞いた。
「なに、お前はいつかの針売りか」と槍を持った惣兵衛は思い出してくれた。
「惣兵衛殿、こいつを知ってるんですか」
「鍛冶小屋にいた猿じゃよ」
「おお、こいつが猿か」弓を持った侍は藤吉郎の顔を見て、「うむ、そっくりじゃ」とうなづいて笑った。
「お前、どこに行ってたんじゃ」と惣兵衛が聞いた。「孫次が捜しておったぞ」
「伯父さんが俺の事を」
「ああ。急にいなくなったと言ってのう」
「伯父さんが鉄砲を教えてくれないから、小六様の所にいたんだ」
「なに、小六というと蜂須賀小六か」
「うん。でも、もう、鉄砲の事はいいんだ」
「そう言えば、仇を討つとか言っておったの」
「もう、いいんだ。仇は死んじゃった‥‥‥それより、あの娘たちは誰なの」
「生駒殿の娘さんたちじゃ」
「へえ、八右衛門様の娘さんなの」
「馬鹿言うな。八右衛門殿にあんな大きな娘がいるか。妹さんたちじゃ」
「へえ、あの人の妹さんだったの‥‥‥綺麗な人ですね」
「まあな。まだ、子供じゃが、後二、三年もすれば別嬪(べっぴん)になる。だがの、お前が惚れても高嶺の花じゃ。諦めるんじゃな」
 娘たちが川から上がって来た。桜の木の下で足を拭きながら、一番上らしい娘が藤吉郎の方を見た。藤吉郎もその娘を見つめた。まくり上げた着物の裾から出ている白い足がやけに眩しかった。
 娘は着物の裾を下ろすと藤吉郎の方にやって来た。
「惣兵衛、誰なの」と美しい声で聞いた。
「姫様、こいつは、えーと」
「木下藤吉郎と申します」と藤吉郎は名乗った。
「藤吉郎さん、あなたは何者なの」
 何者と問われて、藤吉郎は何と答えたらいいのか戸惑った。一体、俺は何者なんだろうと自分に聞いていた。
「浪人じゃ。な、今のお前はわしらと同じ、浪人じゃ」と惣兵衛が答えてくれた。まさしく、今の俺は浪人に違いなかった。
「いくつなの」と娘は聞いた。
 藤吉郎は十五だと答えた。
「まあ、若い浪人さんだこと。あたしと一つ違いだわ」
「一つ違いというと、十四ですか」
 娘はうなづいた。
「浪人さんて事は今、お仕事を捜してるの」
 藤吉郎は惣兵衛に返事を求めたが、惣兵衛は知らんぷりしていた。藤吉郎は仕方なくうなづいた。

更新日:2011-05-14 15:54:41

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