• 25 / 92 ページ
 三箇日が過ぎるとまた、伯父の機嫌は悪くなり、退屈な雑用仕事の毎日が始まった。
「あと、もう少し‥‥あと、もう少し‥‥」と伯父は口癖のように言っているが、鉄砲はいつまで経っても完成しなかった。つまらない毎日にうんざりしている時、伯父を訪ねて来た者があった。
 鉄砲を背負い、毛皮を着込み、革袴をはいた黒づくめのかぶき者だった。こんな所にも、かぶき者がいるのかと藤吉郎は驚き、そのカッコよさに見とれた。
 かぶき者は黒鹿毛(くろかげ)の馬で乗り付けると、「鉄砲はできたか」と小屋の中にズカズカと入って来た。後を追うようにして、派手ななりをしたかぶき者が入って来たが、なんと、そのかぶき者は女だった。刀を背負い、花柄模様の陣羽織に白い革袴を身に付け、鞭(むち)を手にした女は小屋の中を珍しそうに眺め回した。
 藤吉郎はその女を見て、姉ちゃんそっくりだと思った。着ている物は全然違うが、男まさりなその仕草はそっくりだった。こんな女が姉の他にもいたのかと何だか嬉しくなった。
 伯父は二人のかぶき者をチラッと見たが返事もせず、仕事を続けていた。
「その面じゃ、まだのようだな」と男のかぶき者は言って小屋の中を見回してから、藤吉郎の顔を覗き込んだ。
「ほう。小僧、面白え面をしておるのう」と言って腹を抱えて笑った。
「あら、お猿じゃないの。でも、可愛いじゃない」と女のかぶき者は言って、藤吉郎の頬をそっと撫でて、ニコッと笑った。男の格好をしていても綺麗な姉さんだった。
「鉄砲を作る猿か、こいつは面白え‥‥‥しかし、猿真似では役に立たんわ」
 二人は笑いながら小屋から出て行った。
「何者です」と藤吉郎は源助に聞いた。
「蜂須賀小六殿といって鉄砲の名人じゃよ」
「えっ、鉄砲の名人‥‥‥女の方も?」
「女は小六殿の妹じゃ。鉄砲の名人かどうかは知らんが、武芸の達人には違いない。あれ程の別嬪(べっぴん)、男どもが黙ってはおらんが、自分よりも弱い男には見向きもせんとの評判じゃ」
 藤吉郎はすぐに小六とその妹の後を追った。二人は馬に乗って駈けて行ったが、必死になって追いかけた。
 二人は馬場に入って行った。馬場に小六の仲間らしいかぶき者が五、六人、何事か、わめきながら馬を乗り回していた。皆、乗馬が達者で、曲芸師のように馬を乗りこなしていた。
 藤吉郎は息を切らせて小六に追いつくと、「お願いします。鉄砲を教えて下さい」と大声で叫んだ。
 小六の仲間の一人が弓を振り回しながら、「なんじゃ、こいつは」と馬上から言った。
「鍛冶小屋にいたお猿さんよ」と小六の妹が言った。
「おう、そういや、猿そのものじゃな。猿が鉄砲を撃つのか。そいつは面白え」と妹の隣にいる男が言った。
 小六たちは藤吉郎を見て、大笑いした。
「俺は木下藤吉郎だい。猿なんかじゃない」
「小僧、おめえ、侍の子か」
「お父は弓矢の名人だったんだ」
「ほう、大したもんじゃ。弓矢で鳥でも落としたのか」と小六は鼻で笑った。
「おい、小僧、親父の名は何と言う」と小六の後ろにいた男が顔を出した。
「木下弥右衛門だ」
「木下弥右衛門‥‥‥」
「小太郎、おめえ、知ってるのか」と小六が聞いた。
「いや、知らん。ただ、どっかで聞いた事あるような気がする」
 小太郎と呼ばれた男は腕を組みながら遠くを見つめていた。その背中には、小六と同じく鉄砲があった。
「お父は有名なんだ」と藤吉郎はみんなに自慢した。
「猿、おめえも有名になる事じゃな」と言うと小六は馬の腹を蹴った。
 黒づくめの小六は黒い馬に乗って稲妻のように走り去った。小六を追うようにして妹が続き、仲間たちも騒ぎながら馬場から出て行った。
 藤吉郎は後を追いながら、「鉄砲を教えて」と叫んだが返事は帰って来なかった。
 藤吉郎はいつまでも馬の後を追いかけた。が、所詮、馬には勝てず、途中で見失ってしまった。気がつくと原野の中にポツンと立っていた。必死になって馬を追いかけて来たので、生駒屋敷へ帰る道もわからない。藤吉郎は大きく溜め息をつくと空を見上げた。
 まだ、日は高かった。
 汗を拭くと、その場に寝転がって考えた。
 生駒屋敷に戻るか。いや、帰ってもしょうがない。伯父の所にいても鉄砲を教えてくれそうもない。それなら、小六を訪ねて行った方がよさそうだ。小六のうちはわからないが、鉄砲の名人というからには人に聞けばわかるだろう。
 藤吉郎はそうと決めると馬の足跡を追って、のんびりと歩き出した。

更新日:2011-05-14 15:22:30

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook