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 次の日、藤吉は又右衛門に連れられて城内を見て歩いた。又右衛門はやたらに、侍はいいぞ、働き次第では城の主(あるじ)になるのも夢ではないぞと言って、藤吉の興味をそそった。
 藤吉も又右衛門の話を聞いて、侍も悪くはないなと思った。戦死するのはいやだが、古渡(ふるわたり)の城下のように、侍でなくても戦に巻き込まれて死ぬ事はある。加賀屋の娘のように、突然、殺される事もある。今の世の中、死を恐れていたら何もできないと思った。
 又右衛門に勧められるまま、藤吉は弓矢の稽古を始めた。思っていたより弓矢の稽古は面白かった。
 隣の家の林弥七郎には二人の子供がいて、垣根をくぐって、毎日のように遊びに来た。八歳の孫七と三歳の於祢(おね)という娘だった。二人は藤吉になつき、朝から晩まで、藤吉の後をくっついて歩いた。藤吉が弓矢の稽古をやる時は孫七も一緒になって稽古をした。そんな時、於祢は大きな目をして、じっと二人を見つめていた。この娘こそ、将来、藤吉の妻となり、北政所(きたのまんどころ)と呼ばれる女性である。当時、藤吉は於祢を可愛がったが、まさか、自分の妻になるとは夢にも思っていなかった。
 一ケ月が過ぎた。
 まるで、浅野家の息子のように藤吉は大切に扱われた。今まで着た事もない立派な着物を着せられ、腰には又右衛門から貰った脇差まで差して、侍の子供になったようだった。
 又右衛門は来年の春になったら、藤吉を元服(げんぶく)させて、岩倉の若様(信賢)のもとに奉公させようと言っていた。藤吉はそれでもいいと思っていた。このまま、侍になって戦で活躍する事を夢見るようになっていた。
 ある日、藤吉がいつものように孫七と一緒に弓矢の稽古をしていると、弥七郎がやって来て、「さすが、親父譲りのいい素質を持ってるな」とボソッと言った。
「親父譲り?」と藤吉は弥七郎の言った事が気になって聞き返した。
「お前の親父は弓矢の名手じゃろう。なに、知らなかったのか」
 弓矢の名手? 弥七郎は何を言ってるんだろう。あのお父が弓矢の名手だったなんて聞いた事もなかった。
「お父は弓矢の名手だったんですか」
「いや、なに、ちょっと間違えたんじゃ。お前のお父はお茶坊主だったな」
 又右衛門が縁側に顔を出して、「弥七、何が間違いじゃと」と聞いて来た。
「何でもないんじゃ」と弥七郎は手を振った。
「おじさん、弥七おじさんが俺のお父が弓矢の名人だって言ったけど、ほんとかい」
 又右衛門は弥七郎を見た。弥七郎はすまんというような顔をしていた。
「そうか‥‥‥藤吉、お前はもう子供じゃないな」と又右衛門は言って、縁側に腰を下ろした。
 藤吉は又右衛門の顔を見上げて、うなづいた。
 又右衛門は縁側の方に藤吉を手招きした。
 藤吉は又右衛門の隣に座った。
「いいか。お前はもう大人じゃ。大人として話す事がある」
 いつもの又右衛門とは違って、真剣な顔付きだった。
「お前の今のお父はな、本当のお父じゃないんじゃよ」と又右衛門は藤吉を見つめながら言った。
「おじさん、急に何を言ってるんです」
「信じられんだろうが、本当の事なんじゃ。お前の本当のお父は木下弥右衛門殿と言って、立派な侍じゃった」
「木下弥右衛門?」
 又右衛門は静かにうなづいた。
「弓矢の名人じゃった」と弥七郎が言った。
 藤吉は又右衛門と弥七郎の顔を見比べた。二人とも嘘を言っている顔ではなかった。
 筑阿弥が本当の父親じゃないなんて信じられなかった。確かに、お父とはうまく行ってなかったが、本当のお父じゃないなんて一度も思った事はなかった。
「本当のお父が弓矢の名人?」
「いいか、よく聞くんじゃぞ」と又右衛門は強い口調で言った。
 藤吉は又右衛門の気迫に押されて、思わず、姿勢を正した。
「いいか、今の父親はお前の本当の父親じゃない。お前が生まれて間もない頃、お前の母親と一緒になったんじゃ。お前の本当の父親は侍じゃった。木下弥右衛門殿という立派な侍じゃった」

更新日:2011-05-14 14:51:25

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