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4.針売り

 岩倉の城下は清須とよく似ていた。
 五条川に面して堀と土塁に囲まれた城が建ち、北と南に町人の住む町がある。新助が塩を運んだ店は城下の北側の町中にあった。津島の喜左衛門の店ほど大きくはないが、威勢のいい人足が大勢、働いていた。
「どうだ、ここで働いてみるか」と新助は言った。
 藤吉は首を振った。
「ここなら、おめえを馬鹿にする従弟はおらんぞ」
「でも、力仕事はどうも苦手です。津島で蛤(はまぐり)売りをしてみて、俺にはああいうのが合ってるような気がしました」
「行商か‥‥‥うむ、そうかもしれんのう。おめえの蛤売りは評判よかったからな、おめえにゃ向いてるかもしれん。知人がいると言ってたが、そいつが行商やってんのか」
 藤吉はうなづいた。
「頑張れよ」と新助は餞別(せんべつ)をくれた。
 藤吉は丁寧にお礼を言って新助と別れた。新助には行商人の知人がいると言ったが、本当は行商人ではなく、侍だった。
 烏森(かすもり)の杉原家の従姉が二人、この城下の侍のもとに嫁いでいた。その従姉の名はナナとイトといい、ナナの相手の名前はわからなかったが、イトの相手の名前は覚えていた。会った事はないけど、確か、林助左衛門という名だった。その助左衛門を捜し出して、しばらく、お世話になりながら、自分に適した仕事を捜そうと考えていた。
 藤吉は城の側まで行き、武家長屋を見て回った。助左衛門を捜すのは思ったよりも難しかった。長屋が幾つもあり、どこの部署に属しているかがわからないと見つける事は困難だった。結局、その日のうちに捜し出す事はできず、城下の外れにある安い木賃宿に泊まった。
 ゴミ溜めのような場末の木賃宿には色々な人がいた。かわらけ売り、薬売り、針売り、扇(おおぎ)売りなどの行商人、鋳物師(いもじ)に矢細工師、旅芸人に遊女、痩せ浪人と様々な人がいて、その共通点はほとんど文無しという所だった。美濃(岐阜県)から来たという針売りの与三郎という男が、藤吉の面倒をよく見てくれ、藤吉も針売りを手伝いながら助左衛門を捜し回った。
 次の日、助左衛門の消息はわかったが、生憎と、烏森に帰ったとの事だった。当主の彦七郎が戦死したので、杉原家を継ぐために、夫婦して帰って行ったという。
 藤吉はがっかりして、もう一人の従姉、ナナを捜す事にした。ナナはなかなか見つからなかった。それでも、針売りは結構、面白かった。まず、荷物にならないのがいい。それに、蛤のように腐ってしまう事もなく、無駄が出ないのがよかった。商売相手は中年のおかみさんがほとんどだったが、時には若い娘もいて、娘たちと話をするのも楽しかった。
「針はいらんかね。丈夫で使いやすい美濃の針はいらんかね」
 津島の時のように花街の遊女屋に顔を出す事も忘れなかった。花街で針が売れる事は滅多になかったが、派手な事の好きな藤吉は花街の雰囲気と遊女たちが好きだった。
 針売りの与三郎は三日後、清須の城下に行くと言って、木賃宿を出て行った。
「早く、従姉が見つかるといいな。頑張れよ」と藤吉のために針を分けてくれた。
 藤吉は針を売りながら、その日その日を何とか生きていた。
 一月経っても、ナナに会う事はできなかった。ナナと別れてから七年も経ち、お互いに、会ったからといって、すぐにわかるものではなかった。烏森から嫁に来た女を知らないかと武家長屋を聞いて回ったが、見つける事はできなかった。
 さては、ここにいないのか。それとも、城内の屋敷に住んでいるのか。城内に住んでいるとすれば、かなり身分の高い侍と言える。烏森の娘がそんな所に嫁ぐとは思えないが、残るは城内の屋敷しかなかった。
 岩倉城は堀が二重になっていて、中堀の中に守護所と城主、織田伊勢守の屋敷があり、中堀と外堀の間に重臣たちの屋敷が並んでいた。そこに入るには大手門を通らなければならない。用もないのに、大手門を抜ける事はできなかった。
 どうしたら、あの中に入れるのか。藤吉は色々と考えたが、いい考えは浮かばず、花街に行って、遊女たちと馬鹿話をして気を紛らせていた。遊女たちも親身になって、藤吉の事を心配してくれたが、名前もわからず、顔もわからずではどうしようもなかった。

更新日:2011-05-14 14:45:55

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