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「さあ、どっちなのよ。あたしの方が小さいでしょ」
藤吉は手に持った蛤とスズメ姉さんの蛤を比べて見た。スズメ姉さんの方が大きいと思ったが、スズメ姉さんが睨んでいるので、「小さいです」と答えた。
「ほらね」とスズメ姉さんは満足そうに笑って、着物を降ろした。
目の前にあった蛤は白昼夢だったかのように消えてしまった。もう少し見たかったと思っていると、今度は、ツバメ姉さんが着物をまくって、藤吉に蛤を見せた。
「ほら、あたしの蛤、おいしそうでしょ」とツバメ姉さんは指で自分の蛤を摘まんで見せた。ツバメ姉さんの蛤は生きがいいのか、濡れて光っていた。
「なに言ってんのよ。あたしの方が新鮮なのよ」と次々に女たちは着物をまくって見せた。
藤吉は目が眩むかと思うほど、頭に血が上って呆然となった。目を丸くして、ぼうっとしている藤吉を眺め、女たちはキャーキャー笑いながら、家の中に引っ込んで行った。
姉さんたちの蛤を頭にちらつかせながら、藤吉は蛤を売るのも忘れて、新助の家に帰った。
「売れ残ったのかい。しょうがないねえ」とおかみさんは残った蛤を焼いてくれたが、どうしても食べる事ができなかった。
次の日も、藤吉は白昼夢を期待して花街に行った。何となく、いつもと雰囲気が違っていた。琴や笛の音が聞こえないし、女たちの顔色も暗く、コソコソ内緒話をしている。
藤吉がうろうろしているとヒバリ姉さんが現れた。ヒバリ姉さんもいつもと違って青白い顔をしていた。
「何かあったんですか」と聞くと、ヒバリ姉さんはうなづき、「ツバメちゃんが殺されちゃったのよ」とささやいた。
「えっ、ツバメ姉さんが‥‥‥」
昼近くになっても起きて来ないので、おかしいと思って、女将さんが部屋を覗いてみたら、客はいなくて、ツバメが一人で寝ていた。声を掛けても起きないし、揺すっても起きないので、夜着(よぎ)(掛け布団)をまくってみると、自慢の蛤に短刀を突き刺されたまま、血だらけになって死んでいたという。下手人(げしゅにん)はツバメに嫌われても付きまとっていた荷揚げ人足らしいが、まだ、捕まっていないとの事だった。
藤吉には信じられなかった。いつも陽気に面白い話をしてくれ、ちょっと悲しい唄を聞かせてくれたツバメ姉さんが殺されたなんて‥‥‥あの生きのいい蛤に短刀を突き刺すなんて、どうかしていると思った。今の世の中、どこか狂っていると藤吉は怒りを感じていた。
新助の家に居候(いそうろう)して一月程経った頃だった。明日、清須を通って岩倉まで行くけど、祖父のもとに帰るかと新助が言って来た。もう少し、ここにいて蛤売りをしていたかったが、いつまでも、ここにいられない事はわかっていた。清須の祖父の所に帰れば、また怒られるので帰りたくはない。でも、岩倉の城下は見てみたいと思った。
岩倉には杉原家の従姉(いとこ)が嫁に行った侍がいた。会った事はないが、十歳も年上の従姉はかすかに覚えている。蛤売りのお陰で商売のこつは大体覚えた。行けば何とかなるだろうと岩倉に連れて行ってくれと頼んだ。
藤吉は新助と共に塩を積んだ荷車を押して、岩倉の城下へと向かった。
藤吉は手に持った蛤とスズメ姉さんの蛤を比べて見た。スズメ姉さんの方が大きいと思ったが、スズメ姉さんが睨んでいるので、「小さいです」と答えた。
「ほらね」とスズメ姉さんは満足そうに笑って、着物を降ろした。
目の前にあった蛤は白昼夢だったかのように消えてしまった。もう少し見たかったと思っていると、今度は、ツバメ姉さんが着物をまくって、藤吉に蛤を見せた。
「ほら、あたしの蛤、おいしそうでしょ」とツバメ姉さんは指で自分の蛤を摘まんで見せた。ツバメ姉さんの蛤は生きがいいのか、濡れて光っていた。
「なに言ってんのよ。あたしの方が新鮮なのよ」と次々に女たちは着物をまくって見せた。
藤吉は目が眩むかと思うほど、頭に血が上って呆然となった。目を丸くして、ぼうっとしている藤吉を眺め、女たちはキャーキャー笑いながら、家の中に引っ込んで行った。
姉さんたちの蛤を頭にちらつかせながら、藤吉は蛤を売るのも忘れて、新助の家に帰った。
「売れ残ったのかい。しょうがないねえ」とおかみさんは残った蛤を焼いてくれたが、どうしても食べる事ができなかった。
次の日も、藤吉は白昼夢を期待して花街に行った。何となく、いつもと雰囲気が違っていた。琴や笛の音が聞こえないし、女たちの顔色も暗く、コソコソ内緒話をしている。
藤吉がうろうろしているとヒバリ姉さんが現れた。ヒバリ姉さんもいつもと違って青白い顔をしていた。
「何かあったんですか」と聞くと、ヒバリ姉さんはうなづき、「ツバメちゃんが殺されちゃったのよ」とささやいた。
「えっ、ツバメ姉さんが‥‥‥」
昼近くになっても起きて来ないので、おかしいと思って、女将さんが部屋を覗いてみたら、客はいなくて、ツバメが一人で寝ていた。声を掛けても起きないし、揺すっても起きないので、夜着(よぎ)(掛け布団)をまくってみると、自慢の蛤に短刀を突き刺されたまま、血だらけになって死んでいたという。下手人(げしゅにん)はツバメに嫌われても付きまとっていた荷揚げ人足らしいが、まだ、捕まっていないとの事だった。
藤吉には信じられなかった。いつも陽気に面白い話をしてくれ、ちょっと悲しい唄を聞かせてくれたツバメ姉さんが殺されたなんて‥‥‥あの生きのいい蛤に短刀を突き刺すなんて、どうかしていると思った。今の世の中、どこか狂っていると藤吉は怒りを感じていた。
新助の家に居候(いそうろう)して一月程経った頃だった。明日、清須を通って岩倉まで行くけど、祖父のもとに帰るかと新助が言って来た。もう少し、ここにいて蛤売りをしていたかったが、いつまでも、ここにいられない事はわかっていた。清須の祖父の所に帰れば、また怒られるので帰りたくはない。でも、岩倉の城下は見てみたいと思った。
岩倉には杉原家の従姉(いとこ)が嫁に行った侍がいた。会った事はないが、十歳も年上の従姉はかすかに覚えている。蛤売りのお陰で商売のこつは大体覚えた。行けば何とかなるだろうと岩倉に連れて行ってくれと頼んだ。
藤吉は新助と共に塩を積んだ荷車を押して、岩倉の城下へと向かった。
更新日:2011-05-14 13:54:26