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卒業

「うわっ、マジ、目ェあけらんねぇ」

佐々木慶太は卒業証書の入った筒を持った手で、目を覆い、風をやり過ごした。
すらりと背の高い慶太は日本人離れした長い手足で、まるでモデルのような体型をしている。
その上、慶太の顔はアイドルにしてもおかしくないほど整っている。
間近で慶太を見つめて、慶太より10センチほど背の高いオレ--篠原悟はドキドキしている。
慶太は眼にゴミが入ったらしく、うつむいて眼をこする。
その慶太のさらさらの前髪や、眼をこする手に触れたくなる。
いつもの衝動だ。フレタイ。サワリタイ。・・・いつものことだ。じっと堪える。
卒業式を終え、卒業生のオレたちは校門へと向かっていた。
今日は風が強い。天気はいいが、まだ肌寒い風がごうごうと吹いている。
サクラの花びらが吹雪のように、強い春風に数メートル巻き上げられ、つぎつぎと地面にたたきつけられる。
強すぎる春風は可憐な花びらを武器にしてまるで襲い掛かってくるようだ。
薄いピンクの見事なサクラ吹雪。今年はサクラの開花が早いらしい。
3月初めの卒業式というのに、サクラは折からの強風にあおられ惜しげもなく花びらを散らしていた。
その中でなお、慶太は周りに光がさしたように人目を引く。光の中で彼はいつでも美しい。
この豪奢なサクラ吹雪でさえ、彼の美しさには敵わないのだ。

「まいった。悟、目にゴミ入った。」

自分よりは10センチほど低い・・・慶太の身長は178センチ。
中学3年間の陸上で鍛えたスレンダーな体は細い割にしっかりと張りのある筋肉を具えている。
慶太はさらさらの黒髪を揺らし、うつむいて右手で眼を押さえている。

「・・・大丈夫か?」

目の前の彼に、ほんの数センチ先の慶太の前髪に触れてしまいたい衝動を再び自分の中に押さえ込み、自然を装って声をかける。
まばらに卒業生が校門で記念撮影したり、興奮気味に仲のいい友人たちと賑やかに話したりしている。

多くの者が高校受験を終えたばかりだ。合格発表は卒業式の後に控えている。
自分の進路がわからないからこその開放感があるのか。誰もが高揚している。
女子の多くは涙していたが、オレは卒業式には何の思い入れもなかった。
慶太も泣いていなかったし、自分も泣く気にはならなかった。

慶太の前に立ち、彼の顔に吹き付ける風をさえぎるように立つ。
風の流れが変わったのを感じた慶太が顔を上げた。

「悟、サンキュ。あー、眼が痛かった。見ろよ、片目だけ涙でた。」

右目だけ潤ませた慶太がオレに笑いかける。
心臓に悪いから、そんな顔をするなよ・・・心で慶太を責めながら、オレも慶太に微笑み返す。

「なんだ、今頃泣けてきたんじゃないのか?」

「なんだよー!ゴミだってば!」

オレの軽口に気がついた慶太はあわてて反論した。

卒業式が最後の日と決めていた。
今日は別れを決めていた。
最愛の人ともう会わない。
慶太に会うのは今日が最後だ。
大切な大切な人に会える最後の日。

眼に慶太を焼き付けておこう。慶太の声もすべて心に刻んでおこう。
もう最後だから。愛する人の姿も声も最後だから。
今日は慶太しか見えない。
いつもより見つめていてもいいだろう?
明日から永遠の罰を受けるだろう。慶太と会えないという罰だ。
気が遠くなるような長い罰を受けるだろう。
この想いがいつか消えてなくなることなんてあるのだろうか。
慶太より好きな人が現れることなんてあるのだろうか。
永遠に行き場を無くした想いを連れて、オレはこの先どのくらい生きていくのだろう。
慶太がこの世界のどこかにいるだけでいいじゃないか。自分で自分に言い聞かせる。
自分の想いが叶わないからといって、嘆いてもしかたない。
わかっている。
慶太と引き換えにできるものなんてないのだから。

慶太の純潔と引き換えに、オレの心を永久に凍結させる。
そうだ。オレが苦しむだけ慶太は綺麗でいられるんだ。
この痛みこそが慶太だ。痛みを連れて生きていくんだ。

更新日:2010-01-06 23:38:43

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