• 6 / 52 ページ

「お、来た来た。姫!」
 いつものコンビニエンスストアに着くと、薄暗い駐車場のフェンス際にバイクを停め、車輪止めに腰を下ろしていた橘がパッと笑顔になって立ち上がる。見れば、今日は一人きりで子分の姿がなかった。恵也がわざと駐車場の反対側にバイクを停めると、橘がニコニコ笑いながら歩いて来て「よお」と片手を上げる。
「元気だったか?」
 昨日の今日で元気だったかも何もないと思うが、とりあえず無視するわけにもいかないので「ども」と返す。フルフェイスのヘルメットを脱いでライダースーツの前をくつろげると、途端に橘が目を見開いて軽く口笛を吹いた。
「昨日はメット被っててよくわからなかったけど、すっげーシャンなんだな、姫は」
 橘の言葉に、恵也はハッとして息を呑む。
(やばいッ……)
 昨夜はヘルメットを被っていたが、今日は営業先でバッチリ顔を見られている。しかも、ほんの三時間ほど前にである。
(バレる!)
 慌てた途端にカアッと顔が熱くなり、恵也は狼狽えて顔を逸らす。すると、それを見た橘が意外そうに口元を緩める。
「わりとウブなんだな。照れてんのか?」
「なッ……!」
 トンチンカンなことを言われて更に真っ赤になった恵也は、何か言い返そうとして橘を睨む。
「あ、ようやくこっち見てくれた」
 橘は目が合った途端に嬉しそうに笑うと、手を伸ばして恵也の横髪に触れた。
「可愛いな。名前、聞いてもいいか?」
 髪を耳の後ろに掛けた指で耳たぶを摘ままれ、恵也はくすぐったさに思わず首を竦める。
「な、名前?」
 意図がわからずに問うと、橘は頷いてまっすぐ恵也を見詰めた。
「『姫』は通り名だろ? 本名が知りたい」
「なんでお前なんかにッ……」
 恵也はプイと顔を背けると、ノシノシと大股で店の入口に向かう。
「あとさ、学校も教えてよ」
 橘はしつこくその後を付いて来ると、恵也の腕を捉まえた。
「出待ちしていい? 車で迎えに行くからさ」
「はあッ?」
 恵也はその言葉に驚くと、目を丸くして橘を見る。
「一緒にメシでも食おうぜ。もちろん俺の奢りでさ」
 橘はそう言うと、「俺、これでも一応社会人なんだぜ?」と言って笑った。
「なんで……」
 もしかしたらカマをかけられているのだろうかと思って問うと、橘が眉をヒョイと上げてニカッと笑う。
「『なんで』って決まってんだろ? デートに誘ってんだよ」
 橘はちょっと照れ臭そうにそう言うと、首を傾げて笑った。
「一緒にメシ食って映画でも観て、後は海岸までドライブでもしようぜ」
「デート……」
 恵也は予想外の言葉に呆然として橘を見る。橘は「そう」と答えると、なんか照れるな、と言って笑った。その様子からどうやら本当に気付いてないようだとわかり、恵也はホッとして安堵の息をつく。実は実年齢より若く見られる……というか幼く見られるこの顔がずっとコンプレックスだったのだが、今回はそれが役に立ったらしかった。
「揶揄うのはやめてくれ」
 恵也は敢えて否定せずにそう言うと、掴まれたままの腕を取り返そうとする。すると、そこへブオンブオンブオンとエンジン音を轟かせながら三台のバイクが駐車場に入って来た。
「ブラックキャットだ」
 恵也は邪魔が入ったことに喜んで、パッと顔を上げてそちらを見る。その嬉しそうな声音に途端に橘はムッと顔をしかめると、掴んでいた恵也の腕をグイと引き寄せた。
「痛ッ」
「もしかして、本当にあいつと付き合ってるのか?」
 苦痛に顔を歪めた恵也を間近で見詰め、橘が低い声音で尋ねる。
「な、なに?」
 意味がわからずに問い返すと、橘が真顔で「ゆうま」と言った。
「橘勇馬だ。覚えておいてくれ」
「姫!」
 剛田のバイクがまっすぐこちらに向かって来て、橘の背後からぶつかる寸前でブレーキをかける。
「橘! その手を離しやがれ!」
 剛田の怒声に橘は口の端を上げて笑うと、反対の手で恵也の手を掴んで白い指先に口付けた。
「悪いな、剛田。この子は俺が貰う」
「なッ……!」
 その突然の宣言に、恵也は驚愕して言葉を失う。
「な、なに寝言ほざいてやがる! この野郎!」
 剛田が叫んでバイクを飛び降り、あわや橘に掴みかかろうとしたところで、すぐ脇にある自動ドアが開いて店内から誰かが出て来た。
「店の前で何やってるんだい、端迷惑な」
「「店長ッ!」」

更新日:2012-09-24 21:56:52

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook