• 23 / 52 ページ

 得意先を廻りながら八時過ぎに帰社すると、一人残ってパソコンに向かっていた沢村が慌てたように立ち上がった。
「里見先輩!」
「お疲れ」
 恵也は自分のデスクに歩み寄ると、その上にドサリと書類鞄を置く。
「今日はすまなかったな。社長は?」
 先に帰ったことを謝りながら社長の在室を問うと、沢村はキュッと口元を引き結んでから答えた。
「帰りました。今日は俺が鍵を預かってますので……」
「そうか」
 一応報告をと思ったのだが、今日は特にこれといった収穫も無い。溜息をつきながら椅子に腰を下ろすと、その様子をじっと見詰めていた沢村がおもむろに口を開いた。
「先輩……先輩が乗ってった車って橘のですよね」
「え……」
 不意に問われた恵也は、狼狽えて後輩を見る。かなり離れていたし、橘とは気付かないだろうと思っていたのだが、沢村は意外と視力が良かったらしい。
「見てたのか」
 視線を外し、ノートパソコンを開けながら言うと、沢村が硬い声音で「はい」と答えた。
「先輩……あいつとはどういう関係なんですか?」
「どういうって……」
 問われても自分には何と答えればいいのかわからない。パソコンを起動させ、パスワードを打ち込みながら考えていると、再び沢村が言った。
「あの夜も……先輩、本当は橘を助けに戻ったんですよね。違いますか?」
「え……」
 その言葉に恵也の指がピクリと震える。『あの夜』とは橘が暴行を受けていた時のことだろう。関わり合いになることを避けて通報だけして帰ろうとした沢村に、恵也は「用がある」と嘘をついて橘の元へ戻った。しかし、それを今ここで肯定すれば沢村はきっと怒るだろう。
「あれは私用だ。橘は関係ない」
 若干の後ろめたさを覚えながらパソコンの画面を見詰めて答えると、沈黙でそれを受け止めた沢村が再び静かに口を開いた。
「先輩……あいつとはどういう関係なんですか?」
 再び同じ質問をされて、恵也はどうにも誤魔化せなくなる。
「あいつは……」
 恵也は小さく答えると、遂に諦めて溜息をついた。
「実は父親の知り合いの息子なんだ。とは言っても幼い頃に一度だけ会っただけで、父親に言われるまで全く気付かなかったんだけどな」
「えっ?」
 途端に沢村が驚いたように目を丸くする。
「知り合いだったんですかッ?」
 そして素っ頓狂な声を上げると、ホッとしたように口元を綻ばせた。
「なんだ、良かった。じゃあ、別にあいつのことが好きとかじゃないんですね?」
 確認するように問われて、恵也は露骨に顔をしかめて苦い顔で返す。
「気持ち悪いこと言うなよ。俺もあいつも男だぞ」
「すみません」
 沢村はペコッと頭を下げて笑顔で返すと、でも、と言って言葉を継いだ。
「『好き』って気持ちに男も女も無いと思いますよ。それが真剣な気持ちなら、俺は相手が同性でも全然構いませんけどね」
 沢村の思い掛けない言葉に恵也は驚いて視線を向ける。耳の奥に蘇ったのは橘の真剣な声音だった。
 『俺、姫が好きだ。俺と真剣に付き合ってくれ』
 途端に恵也はカアッと顔を赤くする。
(真剣に好き? 橘が俺を?)
 橘も自分も男である。しかし、胸の奥にジワリと浮かんだのは嫌悪感ではなく、こそばゆいような恥ずかしさだった。
「そ、そんなこと急に言われても……」
 同性どころか異性とさえ付き合ったことの無い恵也にとって、恋愛事は未知の領域で想像することすら出来ない。狼狽えて耳まで赤くなりながら視線を逸らすと、それを見た沢村が躊躇うように言った。
「先輩……『それ』ってもう気付いてるってことですか?」
 恵也の赤くなった顔を目で示し、沢村が尋ねる。
「う……」
 恵也は狼狽えて俯くと、キーボードに視線を落として固まった。
(そうか……)
 何故こんなにも橘のことが気になってしまうのか、恵也はその理由に遂に気付いて呆然とする。と同時に、別のことも思い出した。
 『俺はアイツ一筋って決めたんだからな』
 駅まで送って貰った時の、橘の決意したような言葉が耳の奥に蘇る。
(でも、あいつが選んだのは『姫』なんだ……俺じゃなく)
 もちろん『姫』という通り名のライダーも恵也のもう一つの顔なのだが、橘の中の『姫』は高校生だ。ついでに綺麗で可愛くて『ツンデレ』らしい。地味なサラリーマンの自分とは全く違うのだろうと考え、恵也は複雑な思いで溜息をつく。すると、その溜息を聞きつけたらしい沢村が再び口を開いた。
「やっぱり気付いてたんですね。すみません、言うつもりは無かったんですけど……」
「え?」
 すっかり物思いに沈んでいた恵也は、沢村の言葉に我に返って顔を上げる。
「悪い。何か言ったか?」
 視線を向けて尋ねると、沢村が躊躇ように瞳を揺らした。

更新日:2012-09-24 21:22:24

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook