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「もしかして怒ってる?」
「怒ってません」リクルートスーツのボタンを弄ぶカナ。ベーシックな一つボタンだ。
「……怒ってませんけど、名刺を下さい」なに? その一見交換条件っぽいけど全然成立してないコトバ。
「あ、今名刺切らしてるんだ」とっさにいつものテンプレをいってのける。名刺はヤバい。商売柄メールアドレスはもちろんのこと、携帯番号までばっちり書いてあるので彼女が営業活動を熱心にするコだったらシャレにならない。以前、社内共通のメルアドに『湯豆腐(*^^*)』というタイトルのキャバ嬢からのメール(一見プライベートっぽい内容だが営業メール)が上司に送られてきて以来、キャバクラに行ったら「いつも名刺を切らしている男」を演じることにしているのだ。
「えー、じゃあ何て呼んだらいいですか?」
「あ、みんなに『たけちゃん』って呼ばれてるからそれで」
「あー、下の名前が『竹千代』とか?」
「オレいつの時代の人? 幼年期の家康?」
「……キン肉マンしりとり~!」
「流された!?」
「じゃ、アタシから『ブロッケンJr.』!」
「あ……、あ、『アシュラマン』! 」
「あ、『ん』ついた! 負け~」
「なんか、すげー悔しい! ってかキン肉マンの超人ってほとんど『~マン』だからすぐ終わっちゃうじゃん!」
「『あ』だったら『アトランティス』とかいますけど?」
「男の子テリトリーの知識でで女子に負けた! 屈辱!」

カナ嬢のトリッキーな接客に少々熱くなってしまったが、これは接待だというのを忘れてはならない。
Kさんの方にさりげなく目を向けると、幸いおむずかりではない様子。むしろ機嫌がよさそうだ。
なぜか両手にウィスキーが次がれたショットグラスを持たされている。
「いい? 私が『聖子!聖子!橋本聖子!!』って言ったら右・左・右・左って交互にウィスキーを飲んでくんだよ?」
真剣な表情でKさんに話しかけているユカ嬢。あれ? 英語で話してって言ったのに。
「ハスモト? What?」
「Yes! We Can! だいじょーぶ。わたしも一緒にやるから!」二人の会話を聞いてみると話が全然噛み合ってない。
彼女の返事はすべて「Yes! We Can!」しかもオバマっぽい口調で。どうやらこのユカって娘、英語できるってのは嘘だな。
できるのはたぶんオバマのマネだけだろう。しかもあんまり似てないし。
この娘大丈夫か? とハラハラするもKさんはなぜかいつもよりご機嫌。
「ハスモトShake! ハスモトShake!」とショットグラスをリズミカルに口に運んでいる。

「ユカが相手なら大丈夫ですよ」カナが言う「あのコは天性の『盛り上げオーラ』を持っているんです。だから大抵の人はあのコにのせられて自分でもわからないけど楽しくなっちゃうんですね」
「そうなんだ。よくわかんないけど、すごそうだね。じゃ、もしかしてカナちゃんもそういうオーラみたいのあるわけ?」
「……。私には、なにもないです」カナはうつむいて言う「空っぽなんです……。これといってやりたいこともないし、無趣味だし、自我が限りなくゼロなんです。だから就活で自己アピールしろとか言われても全然ピンと来なくて」
「え? カナちゃんってもしかして女子大生なの?」
「はい。それがこの店のもうひとつのウリなんですよ。全員女子大生。昼間は学校行ったりとか面接受けたりとかしてます」カナはポーチから学生証を取り出す。名の知れた有名大学だった。
「ユカちゃんも? 女子大生?」
「ええ。でもあのコはもう普通に就職する気ゼロみたいですけど」

「おふたりさ~ん。あどね、飲みが足りんでー」ユカが乱入してきた。鼻声っぽい口調はおそらく板東英二のモノマネだろう。似てないけど。
そして僕の両手にショットグラスを握らせると、その中にウィスキーをなみなみと注いで「聖子!聖子!橋本聖子!!」とコールし始めた。
Kさんも「ハスモトShake! ハスモトShake!」と大声で叫んでいる。赤ら顔ですっかりご機嫌だ。
ならば飲まねばならんだろう。僕はショットグラスをリズミカルに口に運んだ。
僕の橋本聖子飲みは第二、第三レースへと続き……第四レースのあとから記憶が飛んで……気がつくとどこかの公園の砂場で埋もれるように寝ていた。遠巻きに見ているママさん連中の視線がイタい。
照れ隠しで笑いながらスーツについた砂を払うとワイシャツの胸ポケットにカナの名刺が入っているのを見つけた。裏に「今日はありがとうございました。Kさんはタクシーを呼んでホテルまで送ってもらったので安心してください」の手書きの文字。
「空っぽなんです……」カナのセリフを思い出しながら「字はとりあえずきれいじゃんか」と呟いてみた。

更新日:2010-01-26 19:00:44

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潜入! リクルートスーツキャバクラ