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+都くだり+



「――それじゃ、失礼します」

「うむ。名残惜しいが、これも竜王様の思し召し。しばらく郷でゆっくりするといい。しかし、そなたの姿が宮で見られなくなる日がくるとはなぁ……。本当に寂しくなる。あちらこちらと連れ回して引き留めておきながら、たいした手みやげも持たせてやれず、申し訳ない。こちらに寄った時は、またいつでも遊びにきなさい。遠慮はいらんからの」

「ええ。ありがとうございます。本当に長い間、いろいろとお世話になりました。こいつは、郷に戻ったら都にのぼる者に預けますから」

「ああ、いやいや。良かったらそのまま、おまえさんの屋敷で使うといい。こいつは図体ばかりはご立派な怠け者だが、気だてだけはいい奴だ。昔はこれでも少しは力になったものだが、まだ薪運び程度なら、少しは役立てるだろう。伯父君に宜しく言うてくれ。確か次によこすのはご子息だったか? 楽しみにしておるとな」

 言葉とともに少々乱暴に肩を叩かれ、笑って軽く一礼する。
 最後にもう一度、長年を過ごした官舎を振り仰いでから、身の回りの荷物を積んだ牛車の手綱を引いた。飼い葉を食んでいた牛はゆっくりと頭をあげ、彼に続いて一歩、また一歩と進んで行く。
 高くそびえ立つ官舎の立派な門構えをくぐると南に折れ、そのまま真っ直ぐ、都の外に向かって延びる街道沿いに、大門へと足を進めた。

 本当は朝一番に発つつもりだったのに、なぜかあちらこちらで足止めを喰らい、やれ送りの酒だ飯だと散々もてなされ、やっと官舎の門に辿り着くことができたのは、昼を回ろうかという時刻になってからだった。
 特に急ぐ理由もなく、自分との別れを惜しんでくれる人達の気持ちもありがたかった。少し去りがたい思いが足を緩め、早く発たなければと思いながらも、つい長居をしてしまったのだ。

 ――郷に戻れば、この都を目にする機会もそれほど多くはなくなるだろう。

 日ごろはなんとも思わずにいた賑わう街の喧騒も、そう思えばどこか懐かしいものに思えた。
 ゴトゴトと音を立てる牛車とともに進むうちに、大門の鐘の音が響いた。
 近くを歩いていた旅装束の者達が一様に空を仰ぎ、慌てたように歩を早める。

「え? もうそんな時間なのか?」

「――あんた、知らないのか? 今日は中秋節の舞が竜王宮であるんだ。だから大門も早く閉まるって触れが出ていただろう? なんだかひと雨きそうだし、都から出るなら急いだほうがいいぜ、兄さん」

 傍らを通りかかった男はそう言い捨てると、お先に! と鐘の鳴る方角へ足早に去って行った。

「くそ、こんな時に牛車かよ……間に合うか!?」

 気がつけば、辺りは同じように都から出る者達で溢れていた。荷車を引く牛達も主人の鞭に煽られて、猛然と大路を駆け抜けていく。
 こんな時に、初めてひとりで牛車を引くうえに、牛を操る術や鞭さえ持たない官学出身の若者が、周囲の鬼気迫る勢いに叶う訳もない。

 遥か先で閉門の鐘が響きはじめる。あの鐘が鳴り終われば門は閉ざされ、明昼、祭りの儀式が終わりを告げるまで開かれることはない。じきに鳴り終える鐘の音に、彼は諦め混じりの溜息をついた。

「――仕方ないな。今日はどこかに泊まって、明日……え!?」

 急くような鐘の音に彼が沿道の脇に退こうとした時、それまで周囲の勢いには我関せずの様子でのんびりと歩んでいた彼の牛が、突然大きく頭をもたげ、怒濤の如く大路を行き交う牛車の群れに向かって突き進みはじめた。

「おっ……おい!? なんだ!?」

 牛は真っ直ぐに大門を見つめ、手綱を引く彼を引き摺る勢いで、鼻息も荒くガタガタと荷車を軋ませながら激走を続けている。荷車に積んだ荷物が跳ねあがり、荷台から滑り落ちそうになっていることに気づいた彼は、慌てて荷車に飛び乗ると、へばりつくように手足を伸ばして荷物を抑えた。
 牛は手綱を持つ者もないまま、真っ直ぐに大門へと向かっている。

 おい……嘘だろ!? こいつのどこが、怠け者だ――!?

 呆気に取られたまま荷とともに揺られていると、牛は周囲の牛車や人々を蹴散らす程の勢いで、瞬く間に都の大門を抜けてしまった。

更新日:2011-04-25 20:38:52

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