銭湯ラブライフ　ep.1



「……そろそろ行くか」
　誰に言うでもなく、俺――安藤正太は呟いた。高校を出てから十年近く。二十八歳になる今日まで、一人暮らしにも年季が入ってきた。独り言のひとつやふたつ、出ても仕方ない。
　八畳の和室と申し訳ない程度の台所スペース。その台所スペースの一角は玄関に侵食されている。よく刑事ドラマなんかに出てくる犯人の住んでいるボロアパートの作りに似たこの部屋。違うのは――俺が犯人側じゃなく、刑事側の人間だということぐらいで。
　玄関脇に置いてある洗面器を手に取り、サンダルをひっかけて、蹴れば倒れてしまいそうな薄っぺらいドアを開ける。駅の公衆便所のドアの方が頑丈なんじゃないかとたまに思うぐらいだ。

　夏の終わり、夕暮れから夜の間。そんな色の空の下、徒歩三分の場所にある銭湯『極楽之湯』に入る。番頭のジジィは生きているのか死んでいるのか分からない。番台に小銭を置いて、昭和感漂う脱衣所に進む。
「ショウちゃん！」
「……ショウちゃんはヤメロっつってんだろ」
　ジロリと睨んでもビビりもしないのは、この銭湯の常連客のマキだ。本名は坂巻で美容師らしい。俺が知っているこいつの情報はそれだけだった。
　年齢は知らないけど、多分俺と同年代で三十歳手前だと踏んでいる。
「見回りご苦労さま～」
「見回りじゃねぇ。完全プライベートだ」
「でもショウちゃんがここに通ってるおかげで、都内じゃ治安がいいハッテン場だって有名よ？」
　そう。この銭湯は普通の銭湯じゃない。
　俺がそのことに気づいたのは、あのボロアパートに引っ越してきた数年前、何度目かにこの銭湯に足を運んだ時だった。一日の疲れを癒そうと湯船に浸かっている俺を、やたらガタイのいいニィちゃんが湯船の縁に腰掛けてジッと見ている。不思議に思いつつもそのまま動かずにいると、なんとそのニィちゃんは俺を試すように自分のアレを――しごき出したのだ。湯船に浸かっている俺。湯船の縁に座っているニィちゃん。奇しくもニィちゃんのアレは俺の目線の高さにあって……。
「だけどショウちゃんも度胸あるわねぇ。ここがハッテン場だって知ってて、ずっと通ってるんだもん」
　マキは長めの金髪をゴムでまとめている。無駄な脂肪のついていない体は、ムキムキとまではいかないけどきれいな筋肉がついている。身長だって俺と同じ――百八十ぐらいはあるし、顔だって悪くない。黙っていれば女が寄ってくる外見なのに……もったいない。