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小説=教科書ではないと思う!

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「小説=教科書ではないと思う!」

正直いって、私は頭が良くありません。この頭が良くない。
というのは、イコール「勉強が全然出来なかった」ということです。
常に成績は低空飛行でした。
小説を書いていても国語が出来なかったし、教科書に掲載されている
「この小説の主題はなにか」
という答えが当たっていることもマレでした。

しかし、私は自分で小説を書いていて思いました。
「そんなこと読者に押し付ける必要なんて全然ないよな」と。

「この小説ではこんなことを言っています!」
「伝えたいことはこういうことです!」

まあ、ご理解していただくことに問題はありませんが、例えば
全然違うことを言われても、いや、言われたほうが逆に
「へーっ!そういう読み方も理解の仕方もあるんだ!」と感動する
ぐらいです。

ちなみに吉本ばななさんは、ご自身の小説がセンター試験(だったかな)
に出ていて、それを試しに解いてみたら「正解しなかった問題も多く」
あったそうです。

そのエッセイを読んだときに「あ、やっぱり伝えたいことって教科書で
伝わるもんじゃないのか」と思ってしまいました。(それも一つの読み方
だと考えたほうが良いのかな、とね)

私も含めて、小説を書く人は、読者に向かって「感想をください!」
と言います。
ですが、逆に「もらった感想が自分の伝えたいことを捕らえていなかった」
ときに、「え、違うよ。私が言いたいのはね・・・」と、まるで問題と
回答のように答えたり、また、伝わらなかったことに腹を立てるのも
反則だと、私は思っています。

例えば、これが音楽だったら「音と詞」で世界観を構築することが出来、
悲しい曲を聴いて「楽しい曲だな」と思う人が少ないように、極端な
言い方をしてしまえば「ある程度、誘導できる」というツールと小説とは
まったく違うものです。
切り取られた世界ではなく、序章から終章までが一つの物語。その中に
ある喜怒哀楽の「どこに読者が感動したか」「どこが一番印象的だったのか」
ヒトによって違って良いのだと思います。

私も沢山、本を読んでいますが、その全てが「主題を捕らえているか」
などと問われたら「無理でしょう」と言い切れる自信があるぐらいです。
それぐらいに千差万別。
だから可能性の塊。それが小説と言う魅力的なツールなんだと思います。

更新日:2009-09-11 17:49:05

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