• 42 / 218 ページ
私は彼女を見て、いった。


「それが自分の息子をあずけている相手に対して
あなたがいいたいことの全てですか。

…暒太郎くんが元気なのか、
病気や怪我をしていないのか、
食事できているのか、
外出できているのか、
どの程度自分のことができているのか、
楽しみはなんなのか、
そういうことは何一つお聞きにならないつもりなんですか。」


「それはもう暒太郎にききましたから。」


「本人にきいてどうするつもりです。」


「食事なんて、作ってみればすぐわかることです。
元気かどうかなんて、顔を見ればわかります。
母親ですから!
それに、私は暒太郎を信じていますから!」


「…なるほど、
引きこもりも拒食もなおったし
生活能力もついてきたから
つれて帰りたくなった、ということですか?」


「え…?」


…この反応で、
再会したときの暒太郎の顔色の悪さの事情を、
私は察した。

暒太郎は、母親のつくった食事を
ほとんどたべていなかったのだ。


私はそこに生じた傷口を
少しいじりまわした。


「…何が『え』ですか?」


「…」


「…暒太郎くんはあなたの前では食事できないんですか?」


「…」


「うちでは普通に食事してますよ。
食事だけじゃない、買い物もする、でかけてゆくし、
本も読む、テレビを見て笑う、
話もしてくれます。

私が病気になったら
看病までしてくれました。

あなたはそうしたことを何一つおききにならないんですね。
あなたは暒太郎くんを信じてるんじゃない、
自分の思い込みを信じているだけだ。

暒太郎くんを心配しているんじゃない、
自分を心配しているだけだ。」


「…」


わざわざ言葉にだして
しっかりと確認させたあと、
私は小さくため息をついた。

もういいだろう。

…闘争本能にまけて、
暒太郎の母親をいたぶってはいけない、
と自分にいいきかせた。


「…通信の高校の手続きが必要ならしておきます。

学費は一哉さんが懐に入れてると思いますよ。
私たちのところまで届いてないから。
暒太郎くんはいつも私に通帳を最初に見せて
振込の報告をしてくれるので。

…で?学費は私が出すんですか?」


私がたずねると、彼女は急に落ち着かなくなった。


「…だしてもいいですよ。
そのかわり、お金が続く間だけですけどね。
印税も原稿料も無尽蔵ではないので。
…卒業までもつかどうかは神のみぞ知る、だ。」


私は居間に来客への名刺代わりにおいてある本のうちから
一番売れた1冊をとって、
彼女に手渡した。


「…どうぞ。
私の著作です。
履歴もそこいらにのってますよ。
ペンネームなので名前が違いますけど、
出版社に問い合わせて確かめても結構ですよ。
…お好きにアラさがしなさってください。」


…アラは都筑が探し尽くした本だ。
何とかなるだろう。

それにもし出版社に電話したら、
応対するのは都筑だ。
あっちもこっちもざまあみろである。


「…アラさがしなんて…
そんなつもりは…」


彼女は急に弱気になった。
…風向きが悪いと見て、態度を変えたのだ。
私は苛立った。

チビ! きさまなんざ10年後にはハゲのデブだ、とか
捨て台詞でも吐けばいいのに。
そうしたら怒鳴り返せるのに。
そう思った。

私は滅多に着火しないほうなのだが、
してしまうと消えにくい。

「…お母様のお気持ちはお察しいたしますが、
私は暒太郎くんを姉から頼まれています。
姉は、あなたのご主人から頼まれている。
ご主人は暒太郎くんのカウンセラーの意見をいれたとうかがっています。

もし暒太郎くんをつれて帰りたいのであれば、
私も姉の顔をたてなくてはなりませんので、
ご主人と合意の上で
冷静にご連絡いただきますように、
お願い致します。


…申し上げました通り、
今のところ暒太郎くんの調子は良好です。
ただ、学校が絡んできたときどうなるのかは
私のような素人にはわかりません。
それでも賭けてみるしかないでしょうね。

それと、多分この調子であれば、
お宅に戻れば、
元の木阿弥でしょう。

無理に連れ戻っても、家出されるのがオチですよ。」


最後の一言をなるべく冷たく言って、
私はしめくくった。


すると、暒太郎のお母さんは、涙ぐんだ。


更新日:2009-09-28 14:22:40

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook