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St@ge.10 律子の朝

星井美希は765プロのアイドル候補生だった。とはいえ、まもなくその候補生の部分はなくなることになる、事務所を移籍することで。
「美希! あんた、本当に辞める気なの!?」
事務所から去ろうとしている彼女を律子は引きとめようとしていた。
「うん、お世話になったね、律子さん。今度はオーディション会場でライバルとして会いたいかな、楽しみにしてるね」
「どうして!?」
「何度も言ったよね。今の765プロは美希にとって面白くないの、千早さんがダメで、他の人たちじゃダメなの。美希のやりたいことができそうにないし、今のままじゃダメダメなの」
「そんな理由で」
「だって、美希が765プロに入ったのは、千早さんがいるからなんだよ? その千早さんがあんな状態だから」
律子からすると要領の得ない答えだった。
なぜ千早でなくてはいけないのか。
そこに自分の入り込む余地はないのだろうか。
美希は自分の方向を向いて歩き去っていく。
彼女を引き止める方法はないのか、思案しながら駆けていくのだが、歩いているだけの彼女に引き離されるばかりで一向に追いつく気配を見せない。彼女の背中だけが遠くなっていく。どんなに大声で呼び止めようとしてもちらりとも振り返りもしない。
そのうち律子は何かにつまづき、闇の中へと転げ落ちていった。

「あいたっ」
目を覚ましてみるとなんてことはない、あの日から時折見ている嫌な夢だった。夢の中で落ちていったのはベッドから落ちてしまったのが原因らしい。どうしてこんな夢を見てしまったのか考えていて、テレビを見やると、すぐに合点がいった。
テレビに星井美希が映っていたのだった。
彼女がメインゲストで音楽番組に出るとあってしっかりと録画し、それを何度も見ているうちに眠ってしまったからだ。
寝ぼけまなこに彼女の笑顔はとてもまぶしく見える。
『美希ちゃんは今度アイドルアルティメイトに挑戦するんだよね? 自信はあります?』
『優勝の自信だよね、もちろんなのっ!』
自信満々に笑う彼女の表情に釣られるように頬がゆるむのを感じて、首を振ってから顔を音だけ立てるように叩き、眠気を振り払う。
勢いよく立ち上がって大きく背伸びをする。ついでにラジオ体操まがいのことをしてからテレビの電源を切った。
「さって、準備して、事務所に行きますか」
声に出して言ってみれば自分のすることが決まって手早く出かける準備を済ませることができた。外に出る前に携帯ミュージックプレイヤーのイヤホンを耳に挿し込み、お気に入りリストを選択して再生をし、音楽が流れ出すとともに外へ出る。
最近のお気に入りリストに入っている曲は全て星井美希だ。

律子が事務所に着いてみると、朝早い時間にもかかわらず、そこには千早のプロデューサーである春田さんことハルさんが自分の席でうなっていた。
何か書類でわからない点でもあるのかと思ってデスクを見てみると、そこには何も置いておらず、ただ彼女が頭を抱えてるだけだった。
「おはようございます。ハルさん、どうしたんです? こんな朝早くから」
「あ、おはようございます、律子さん。いや、ちょっと考え事してたら眠れなくて、眠っちゃうとヤバイ気がして始発で事務所にきちゃったんですよ」
こちらを見た彼女の目がそれを表すかのように充血し、目のクマも出てきてしまっている。
「ああ、千早さんを果たしてアイドルアルティメイトに参加させていいものかどうか。社長や他の人は参加するだけでもって言ってくれてるけど、千早さんとやるんだから下手な成績は残せないし、千早さんに相談したら出るって言うだろうし、自分はどうしたら」
どうしたもこうしたも出ればいいような気がしてしまう律子ではあったが声には出さず、その思考は別の方向に傾き始めた。
彼女もアイドルアルティメイトの出場を宣言していなかっただろうか。
自分のスケジュールの中にもアイドルアルティメイトの予選が仮予定として入っていたはずであり、それは事務所内で会議して出場者を決定することになっている。
『あ、社長。おはようございます! 千早さんの件は会議のときまでに決めておきますから!』
『いやいや、君にとっては大きな決断が要る仕事だろう。千早くんと相談してからで構わないよ』
『はいっ、すみませんっ』
外から社長とハルさんのそんな会話が聞こえてきた途端、律子は勢いよく部屋を飛び出し、
「私はアイドルアルティメイト出ます!」
廊下で宣言してしまってから、自分らしくないことをしたなと思って顔が熱くなるのを感じた。
「これは決定事項でお願いしますねっ!」
そう言い切ると社長とハルさんは何度もうなずいてみせたのだった。

更新日:2009-10-08 01:04:41

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