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波を数えて走りたい -6-

『トオルさん、お元気ですか。私は元気です』

カズミの手紙は、その言葉から始まっていた。

『トオルさんの住所がわからなかったので、貴子ちゃんにお願いすることにしました。貴子ちゃんにお礼を言っておいてください』

貴子はむすっとした顔をしていたが、それは単にトオルの態度が気に入らなかったからであって、カズミに使われたせいでないことは、トオルにはわかっていた。
しかし、自分が貴子に礼を言うのも変だと思った。カズミが勝手に頼んだのであって、トオルには関係ないことだ。

『もう少ししたら手術が出来るみたいです。順番が回ってきました。でも、私が手術をするということは、誰かが死ぬということなので、心から喜ぶことは出来ません。
でも、ドイツのお医者さんが私に言いました。その人が生きられなかったぶん、その命を私が引き継いで生きるのだよと。
そう思ったら、なんだか元気が出ました。私は人助けをしているのだという気持ちになりました』

トオルは、今まで自分とは縁がなかった「死」というものに直面しているカズミが、ひどく大人になった気がして、置いて行かれたような気分になった。

『手術が終わっても、しばらくは帰れません。当分は走ることもできないので、陸上部に入るのは2年生になってからです。私は教科書を全部持ってきて、一生懸命勉強しています。来年はトオルさんや貴子ちゃんと一緒に、2年生になりたいです。
帰ったら、真っ先に床屋さんに行きます。こちらにも床屋さんはありますが、やっぱりトオルさんのお店が、一番好きです』

トオルは、自分のことを好きだと言われたように思い、顔がかあっと赤くなった。

『2年生になったら、トオルさんと一緒に陸上部で走りたいです』

希望に満ちたカズミの言葉は、もう治ったような明るさだ。しかしトオルは、手術が決して安全なものではないこと、移植はうまくいっても、その後のほうが大変なのだということを、知っていた。
そして、術後の生存確率、生存年数も。

カズミが旅立った後、図書館で調べたのだ。

『病院で知り合ったお姉さんが、ミサンガの作り方を教えてくれました。トオルさんが気に入ってくれたらいいんだけど、もし嫌だったら捨ててください』

封筒の中には、ミサンガが1つ入っていた。こげ茶と薄茶と黒の3色の細い革ひもで、複雑に編み込んである。

『それでは、またお手紙書きますね。さようなら』

手紙はそれで終わっていた。

日付は書いてない。いつ手術をしたのか。この手紙が貴子に届いたのはいつなのか。トオルの頭の中は、そのことで一杯になった。
トオルは手紙を握って家を飛び出していた。貴子に確かめなければならない。カズミはいつ手術をするのか。あるいはもう終わったのか。今はどういう状態なのか。
貴子の家は、確か病院の向こう側で、家の屋根にソーラーシステムだったか何だかがついていて・・・と、クラスの女子たちが話していたような気がする。

病院に向かって走るトオルを、呼び止めた者があった。
「野崎、待ってくれ」
ゲームセンターを過ぎたあたりだった。振り向くと、三浦が泣きそうな顔で追ってくる。
「何だ。今忙しい」
トオルは息を弾ませながら、三浦を見た。
「頼む。お前を連れてこいって言われてるんだ」
「忙しいって言ってるだろ」
「お願いだよ。俺、殺される」
真剣な三浦の顔を見て、トオルは舌打ちした。
「すぐ終わるんだろうな」
「あ・・ああ。こっちだ」

三浦の後を歩いていくと、駅から少し離れたガード下の、自転車置き場に着いた。
「あれ・・・おかしいな。ここにいるって言ったのに」
「何があるんだ。殺されるってどういうことだよ。適当なこと言ってんじゃねえぞ」
トオルは、三浦の襟首をつかみ、今にも殴りかかりそうだ。だが、手紙を握っているのに気づいて、腕を降ろした。

「よお。待ってたぜ」

後ろから声がする。見ると、小林と萩田がそこにいた。

「ようやくおいでなすったな。野崎亨くん」

小林は、にやりと笑った。



更新日:2009-08-06 21:26:11

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