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第11章

 直樹と京子の母親、それから杏子の母親は友人同士だった。それは本当で、きっと死ぬまで二人は様々な思いは抱えていても、その関係は変わらなかったことと思う。
 当事者が4人とももういないので、詳しいことは分からない。京子自身が知っていたことがすべて真実だったのかももはや分からない。しかし、これだけは恐らく本当だっただろうという事実。
 京子は、杏子の母親と、直樹の父親との間に出来た子どもだったのだ。
そこに、どんな複雑な、或いは悲しい事情があったのかは分からない。しかし、その事実が、二つの平凡な家庭の運命を狂わせた源だったのだ。
 杏子を生んで間もなく亡くなった杏子の母。彼女は手放した娘と同じ名前を、二人目の娘につけた。夫以外の男の子どもを生んだこと、それが親友の夫だったこと、その娘を手放したこと、そういう辛い現実が彼女を死に至らしめた一因だったのかもしれない。愛する妻の死を見送り、遺された娘のために生きる現実よりも、妻を死に至らしめた諸々の事情への恨みや憤りに病み、お酒を飲み続けるしかなかった杏子の父親。それを見守る直樹の両親の辛さ。
 親友の忘れ形見、夫の不倫の結果、そういう相反する愛憎に苦しみ、何かの拍子に直樹の母は京子に真実を話してしまったのだろう。そして、妹を救うために自らの命を投げ出して逝ってしまった京子。彼女を死に追いやったのは自分だと直樹の母は考えたのだろう。自らの出生の秘密を彼女は負い目に感じ、自分を生み出した母への想い、複雑な思いで育ててくれたのだろう自分への謝罪のようなものを抱えさせてしまった。自分が不用意に口にしてしまった悲しい真実。生まれてきた京子には何も罪はないのに。あの子は真実を知っても尚、自分を母と慕ってくれていたのに。
 そういう罪の意識が彼女を病の床に突き落とした。そして、親友に詫びながら、京子に詫びながら死んでいったのだ。直樹の父が自殺だったことを考えれば、もしかすれば、彼にも罪はあったのだろう。いや、彼がすべての悲しい真実の根源だったのかもしれない。
 過ちを乗り越えようともがいていた二つの家族。大人たちの勝手な事情に翻弄された幼いきょうだい。
 京子がどれだけの事実を知っていたのかは分からない。佳代に語ったのは、ほんの僅かのことだった。京子自身も詳しくは知らなかったのだろう。
 杏子の母親が京子をみごもったのは、或いは4人がまだそれぞれ夫婦ではなかったときだったのかもしれない。
 京子は、惹かれあう弟と妹を、その無邪気に微笑み合う、自分にとっては二人ともが実のきょうだいを見守ることがただ一つの幸せだったのだ。二人が幸せになることで、両親の過ちが浄化されるような気がしていたのだ。
 だから、あの日、なんとしても杏子を救いたかった。たとえ自分が死んでしまっても。弟が悲しむ姿も、妹が苦しむ姿も見たくなかったのだ。二人の笑顔が、彼女にとってはすべてだったのだから。

更新日:2009-04-09 21:02:56

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