• 20 / 45 ページ
 年が変わり、杏子は最終学年になった。座学が多かったそれまでと違って、3年生は実技の時間が格段に増え、臨床的な授業をどんどん展開される。国家試験の模試も毎月のように実施され、それで一定の点数をとれない者は、学校の施術所での臨床に参加出来ない。夜間部は働きながら通っている生徒がほとんどだったため、充分に家で勉強が出来ない者が多く、模試の点数をとることは至難の業だった。
 そうやって、忙しい必死な時間の中に身を置くことは、杏子にとっては有難いことだった。余計なことを悩む時間がない。それが何よりだった。今は考えても仕方がないのだ。直樹が何も言い出さない限り、杏子も敢えて何も聞かなかった。
 昼間部ではここ最近、この業界でも女性がかなり増えてきた。しかし、夜間部はまだまだ男性の比率が高い。人数自体もそれほど多くないので、こぢんまりと皆仲が良い。杏子とそう年齢の変わらない男の子も何人かいて、いつも優しい彼女は人気者だ。30~40代の男性、だいたい実技の授業で杏子が組むもう一人の年配の女性、そんな感じに年齢層は広く、バラエティに富んでいる。
 実技の授業が増えるということは、必然的に学校で杏子が直樹に会う時間も多くなった。手技の基本を忠実に追ってさえいれば、直樹は治療の方法についてはあまり細かいことを言わなかった。症状をある程度的確に把握できて、治療方針に明らかな間違いが認められない限り、とりあえずやってみなさい、と任せるのだ。どうせ、生徒同士がお互いに被験者である。3年生になって、そういう授業のスタイルが多くなってきた。
 症状の把握や治療方針に間違いがなくても、ちょっとした配穴、ちょっとした取穴のズレで、どうしても症状の緩和がみられないとき、直樹が少し手を加えるだけで、すっと痛みが取れたり、動かなかった方向に腕が動いたりする。或いは、行き詰っているときにほんの少し視点を変えると突然別の治療法が浮かんだりする。そういう臨床技術に、誰もが感嘆の声を上げ、杏子もそれは例外ではなかった。そういうときの直樹の自信に満ちた、だけどただ淡々とした態度の、すっと医療者の目になって患者を見つめる彼の温かい瞳。それは医療者の卵たちを憧れで満たし、進むべき目標を無言で示してくれていた。
 夏が過ぎ、秋も終わり、冬を迎えた。
 2月の国家試験を目の前にして、杏子は、それがある最終地点であることをどうしても考えずにはいられなくなった。直樹は何も言わなかったが、彼女は国家試験を終えたら、彼の家を出ようと決めていた。陸子が一人暮らしを始めるかもしれないと言っていたし、しばらくは彼女に世話になろうかと考えていた。それはとても辛いことだったが、この一年をかけて、徐々に固めてきた決意だった。
 治療院を開設するつもりはなかったので、どこか就職先を探さなくてはならない。陸子が部屋を借りる場所から通える範囲に。試験勉強をしながら、片隅で、杏子はちくりとした痛みと共に思う。いずれ、もうすぐ目の前に突きつけられる現実だった。

更新日:2009-04-09 21:00:07

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook