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第4章

 期末試験が終わり、結果も出て一段落して、直樹も杏子も少しほっとした9月の終わり。10月から後期の授業が始まるまでのほんの少しの空いた期間の日曜の朝、直樹は授業の準備から解放されて少し寝坊をし、杏子は授業とは関係ない古典などをゆっくり読もうとわくわくしながら、とりあえず朝食に支度にとりかかろうとキッチンへ下りて行った。明日は少しゆっくり起きたいからと、昨夜、直樹に言われていたので、杏子ものんびりとしていた。そろそろ8時半をまわった頃だった。
 不意に治療院ではなく、家の方の玄関で呼び鈴が鳴った。
 誰だろう?こんなに朝早く。何の気なしに返事をして玄関の鍵を開けた杏子は、目の前の若い女性が自分を見て驚いた形相に、びっくりして言葉を失った。その女性は、年の頃は杏子とそう変わらなそうに見えた。ただ、漂う空気がまるっきり違っていた。きっちりと化粧をして、杏子には縁のないブランドのバッグを持ち、ショッキングピンクのノースリーブのツーピースを着込んでいた。瞳に強烈な魔力を抱いたような鋭い光をたたえ、口元はきゅっと結ばれていた。声が、高く甘く、香水の匂いがした。
「あなた、誰?」
 その女性は杏子を頭の先からつま先までじろじろと見て、ひどく不快そうにそう聞いた。その日、休日ということもあって、杏子は古いジーンズに淡い色彩のブラウスを羽織っただけだった。そういうみすぼらしい服装を軽蔑しているらしい空気が伝わってきて、杏子は身がすくんだ。
「・・・私は、あの、・・・。」
 何と答えて良いのか分からず、その女性の勢いに圧倒されて杏子は言葉が出てこなかった。
「義兄さんは?」
 彼女はまるで自分の家のような態度で、驚いて茫然としている杏子の脇から勝手に玄関にあがり、家の中を見渡す。
「あの・・・」
 うろたえる杏子のことをまったく相手にせず、彼女はさっさと二階へと上がっていった。
「義兄さん、・・・ねえ直樹~?いるの?」
 直樹を兄と呼ぶ存在など杏子は知らなかった。しかし、幼い頃に別れて以来の彼のことを何も知らない彼女は、その女性が直樹の家族であるらしいことに、もう、何も口出し出来ないことを悟っていた。
 やがて、彼の部屋に上がりこんだらしいその女性の気配に、杏子は強いショックを受けた。その気持ちをどう表現して良いのか分からない。
蝶の羽ばたき、セミの声、バッタのひと飛びが立てる振動ですら耐えられないような、危ういガラスの庭。たった一輪の薄い花びらのバラ。それをそっとそっと大切に守って育ててきた。それこそ、息をひそめて、ただ、その心いっぱいで。そんな大切な庭に地響きを立てて恐竜がなだれ込んできたような感じ。失礼だとは思いながらも、杏子の心はそんな風に波立っていたのだ。

更新日:2009-04-09 20:54:52

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